「とにかく、ほっとしました」。そう笑顔を見せるのは、この7月に新たに東京都議会議員に就任する高野たかひろさん。6月22日に投票が行われた東京都議会議員選挙に世田谷区選挙区から都民ファーストの会所属で立候補、定数8に対してみごと7位で当選しました。
「後ろ盾もなく、会社を辞めてまで政治の世界の入り口に立ったため、準備を始めてからの約半年は無収入。もしかしてこのまま無職かもしれない。大変な恐怖、不安と戦った半年でしたが、不退転の気持ちを固めて挑みました。遮二無二動くことで恐怖をごまかしていた自分がいたなと、終わってみると思います」
高野さんは25年2月末に退職するまで東京のキー局・TBSに勤務し、長くアナウンサーとして活躍しました。さわやかな笑顔のファンも多かったのではと思うのですが、なぜ政治、しかも都政を志したのでしょうか? お話を伺いました。
障害児の親として「娘といっしょに育つ」間に、社会のさまざまな課題が見えてきた
高野さんは2003年にTBSに入社、アナウンスセンターに所属。22年に総合プロモーションセンターへ異動、さらに23年にはCSR推進室に異動し、その後は同室長を務めました。プライベートでは2011年に結婚、2015年に授かった長女が国の指定難病である先天性ミオパチーにり患しており、電動車いすで生活していることを2024年に公表しています。
とはいえ、娘さんの障害が判明した瞬間から政治の道を志したというわけではなく、むしろつい最近までは「政治を嫌っていた」そう。自分には縁がないと思っていた世界へと、なぜ急に転身を?
「自分の周囲の社会を笑顔にしたかった、これに尽きます。いま小4の娘が障害を持って生まれたことで、まだまだ整っていない福祉の制度や環境を目の当たりにしてきました。私の周囲には同じように困っている人がたくさんいます。なんとかこれを変えたい、周囲の皆さんの笑顔を作りたいというのが最初の一歩でした。その先には自分が作り上げたい、誰も取り残さない共生社会があります」
しかし、元キー局アナウンサーとなれば、国政に進むことも考えなかったのでしょうか?
「国政だとレイヤーが大きすぎました。国政を変えるにはかなり時間がかかりますし、しかも私は素人です。大きな仕組みではなく、私や娘の日常と密に接する基礎自治体の毎日の動きを変えていきたい。これができるのはむしろ区議か都議なのです。幅広い方々への働きかけのため、家族とともに暮らす東京で、生活に近い自治体から変えていきたいと考えました」
先輩議員とランチで意気投合、「一緒にやらない?」から運命は急激に動き始める
この転身のきっかけには、元テレビ朝日アナウンサー・龍円あいり都議との出会いがあったといいます。龍円都議は2017年に都民ファーストの会から立候補し当選、2020年に世田谷区の砧公園に都内初のインクルーシブ公園「みんなのひろば」を整備したことでも知られます。プライベートでは2013年に出産した長男がダウン症であると2016年に公表しました。
「『みんなのひろば』は私たち家族もよく利用しています。いつか龍円都議に『遊んでいます、ありがとう』とお礼をしたいと言っていたら、先輩づてにご紹介いただいて、ランチをご一緒したんです。その席で『うちも指定難病の娘を育てているんです』とお話をしたら意気投合、『それなら一緒にやらない?』とお誘いをいただいたのが政治への第一歩となりました。そこからはとんとん拍子で、代表をご紹介いただいて公認もいただいて」
じつは高野さんは3年前、42歳で社会福祉士の資格取得に挑んだ経験があります。家庭で任意団体を立ち上げ情報発信を続けていましたが、もっと情報に裏付けが欲しいと学び始めたのだそうです。
「国家資格を取得し、専門職として情報を発信することが必要だなと感じて、アナウンサーの仕事と並行してNHK学園の1年半コースに通いました。スクーリングの日には会社からは休暇をもらって。もう、めちゃくちゃに大変でしたが、でもとてもとても深い学び、気づきを得ました」
「会社を辞めずに政治に参加できるならそれに越したことはないけれど」
社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士の福祉3大資格はいずれも実務または実習が必須です。実習現場ではご自身のお嬢さんだけでなく、他の障害を持つ皆さんとも接し、さまざまな特性ごとのニーズがありありと見えたと言います。
「この国には困っている方がこんなにたくさんいる。健常者の社会はそれなりに整っているが、それ以外の社会で生きている方々がフィーチャーされにくい。これらの実情をもっと知らせたいと感じました。その上で、広く網羅的に社会資源をつなぎ合わせる社会福祉士の役割と、自分の相性がいいことも見出しました。この発見もつなぎ合わせる役割としての政治へとつながりました」
でもね、実は地方自治体選挙は会社を辞めずに出馬することができますし、議員になった暁には、会社員と兼務することもできるんですよ。と高野さん。
「家族がいる、しかも障害を持つ娘がいるわけですから、選挙のたびに無収入リスクに陥るのは非常な不安です。二足のわらじができるのならばそうしたかったのですが、勤務先は報道機関ですから偏向報道につながる可能性があることはできず、退職以外の道がないと結論づけられて。納得するしかなかったのですが」
できれば一般企業に勤めている人が何の憂いもなく簡単に政治参画できるのが、みんなが参加する社会のための本来の理想像ですよね、と高野さん。
「最後は、報道機関が別枠になるのはその使命のうえでも仕方のないことだなと自分に言い聞かせました。こういうことがないと当事者にならないし、なってみてはじめてわかること、気づくことがたくさんありました」
ここまでの記事では立候補までの背景を伺いました。関連記事では政治活動スタート後の「とんでもない苦労」と「不安、恐怖との戦い」そしてこれから目指す社会について伺います。
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高野たかひろ
1979年9月生まれ。宮城県石巻市、福島県いわき市で育ち、青山学院大学文学部フランス文学科を経てTBSに入社。 自然をこよなく愛し、アウトドアスポーツ、釣りやキャンプ、登山(特に北アルプス)はライフワークでもある。 家族は妻と9歳の娘、犬1匹。