数々の苦難に合っても、乗り越えて未来へつなげられる人は、どうやって道を切り開いているのでしょうか。気になります。今回は、50歳で乳がんを経験した後、55歳で初めての結婚を決めた凄腕女性経営者、板橋理恵さんの実話をご紹介します。
乳がん経験をきっかけに「楽しみを分かち合える相棒がほしい」と思うように
乳がんで右胸を全摘出してから5年後。55歳となった板橋さんに、さらなる人生の転換期が訪れます。それは、結婚です。
板橋さんにとって、今回が初婚。特に独身へのこだわりがあったわけでも、これまで縁談がなかったわけでもありませんでしたが、仕事中心の生活だったこともあり、なんとなく結婚にこぎつくタイミングがありませんでした。
「このまま生涯独身で生きていくのかな……」と半分覚悟を決めていた板橋さんが結婚を決めた理由の一つに、乳がんの経験がありました。
「乳がんの経験を機に、これからの人生をもっと有意義に、彩りある生活にしたいと考えるようになりました。彩りといっても、特別なイベントをするとかではなく、一緒にお茶を飲んだり、何気ない日常に会話が増えたりするイメージです。そのとき、ひとりで楽しむのではなく、楽しみを分かち合える相棒がいたらいいなと思ったんです」
幼いときから自律心が強く、なんでも一人で完結してきた板橋さんにとっては、とても大きな価値観の変化でした。ただ、このときはまだ「気の置けない茶飲み友達がいたらいいな」程度の感覚で、是が非でも結婚したいとは思っていませんでした。
自身の人生観が変化したことで、板橋さんは友人の結婚話を以前より積極的に聞くようになりました。あるとき、離婚と再婚を経験した男性から体験談を聞いたときには、こんなことを思いました。
「その男性が離婚した理由は、自分の母親と妻との反りが合わなかったからだそう。なので再婚するときは、母親と仲良くできる女性を条件にしたそうです。その条件を基に再婚した現在は、妻と母親が大の仲良しになって、円満に暮らしています。この話を聞いて、私もあらかじめ条件を整理しておいたほうがよさそうだと感じ、条件リストを作りました」
板橋さんはさっそく、条件を書きだしました。項目は、運転できる、料理ができる、自立している、頭脳明晰、優しい、自分と違う仕事などなど、合計10項目に及んだと言います。
出会うときには出会う……リストを見直して改めてわかった「生涯の相棒」
条件を書きだして数年が経ったある日。気の合う友人と企画したグループ旅行で、のちに夫となる男性と出会いました。4歳年上で免疫学の研究職です。自分とはまるで違う環境で暮らすその男性に興味を持った板橋さんは、何気なく話してみることにしました。
「何を話したかはあまり覚えていませんが、話していて楽しいと思いました。気を使わずに済む人で、とにかく気分がラク。茶飲み友達になってほしいと思いました」
茶飲み友達として意識すると同時に、条件リストの存在を思い出した板橋さんが改めてリストを見返すと、半分以上がリストに当てはまっていました。
この日を境に、板橋さんは男性とたびたび会って、日ごろの何気ないできごとを話すようになりました。何度会ってもラクな気持ちで時間を過ごせることから、「この人となら、生涯の茶飲み友達になれそう」と思い始めましたが、その気持ちが大きくなるほど、「いつか乳がんで乳房を全摘出したことを話さないといけない」とも思うようになりました。
「彼は免疫学の研究をしている人ですし、性格的にも気にしない感じがしました。もしも気にするようならそこまでの関係と思い、頃合いを見計らって、『実はいま、治療中の病気があるんです』と話を切り出しました」
最初は驚いていましたが、彼の同級生や職場の部下でも乳がん罹患者がいたことや、2人に1人はガンになる時代だと理解していたことなどから、耐性が出来ていたようだったそう。
「また、出会ったときはすでに手術と再建が終わっていて、投薬と経過観察をしている状態でしたので、私の側も少し安心していました」
このように乳がんのこと、まだ治療中であることを話しても男性の対応が変わることはなく、楽しい関係が続いたことから、男性が仕事の都合で引っ越しすることになったタイミングで、結婚を決めたといいます。
50代以降は「自分をよく見せよう」とかっこつけなくていい。等身大でいられる
「50代以上の恋愛は、若い頃と違って格好つける必要がないからラクでいいなと思いました。夫は再婚で子どもがいますが成人なので、子ども中心に結婚を考える必要性が低かった点も、結婚の後押しになりました」
結婚後、相棒となった夫はいつも、板橋さんの元気すぎる毎日を多少心配しつつ、優しく見守ってくれています。定期健診に行くたびに、「再発していなかった?」と心配してくれる夫の姿を見て、板橋さんは改めて相棒がいるありがたみを感じているそうです。これまで再発・転移することなく過ごせたのは夫の支えによるところも大きいと、板橋さんは心から感謝を込めた口調で話していました。
板橋さん自身も、夫と長く楽しく過ごすために、より健康に気を付けて無理をしないよう心掛けているそうですが、なかなか持ち前のエネルギッシュで行動的な性格は変わらず、夫から「鋼のオンナ」と呼ばれているそうです。どうぞお幸せに。
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お話いただいたのは…
板橋 理恵さん
MTコスメティクス 株式会社 代表取締役 「結果の出るスキンケア開発」を決意し、美容医療プロフェッショナル向けメディカルコスメカンパニー「MTコスメティクス」を起業。美容施設専売の化粧品にも関わらず、国内外の女性誌で数々の賞を受賞。現在、国内約6,500軒のクリニック・エステへの導入の他、世界11か国に展開中。