こんにちは。神奈川県在住、フリーライターの小林真由美です。ここ数年のマイテーマは「介護」。過去6回の連載では「義母の介護」を中心にお話ししてきましたが、今回は、同時期に経験した「もう一つの介護」について書きたいと思います。その介護の対象となったのは、当時83歳の父です。
日頃から趣味を楽しみ、適度に運動もこなし、地域の活動にも参加。まだ残る黒々とした髪をいつも丁寧に整え、身だしなみには人一倍気を使っている。そんな姿を見ていたからなのか、「介護はまだまだ先」と勝手に思い込んでいた私。でも、そんな父を突然介護することになるなんて。そして、数ヶ月後に「別れの日」が訪れてしまうとは、夢にも思いませんでした。
【アラフィフライターの介護体験記】#7
◀◀前のページ 「自覚症状なし」父の「すい臓がん」が発覚したのは、母だけが気づいた「ある症状」がきっかけだった。親が突然「がん」になったらどうすべき?
>>くしくも私の質問に答える形で父の余命が告げられた……
父の隣で聞いた「余命3ヶ月」という言葉
翌日、総合病院で検査を受けることになった父。検査は多岐にわたるようで、母が各検査室の前まで付き添い、私は紹介状を提示した消化器内科の受付ロビーで待つことにしました。健康診断でも受けるかのような“平常運転”で、「行ってくるね」と手を振る父を見ていると、「何かの間違いかもしれない」とさえ思えてきます。
テレビに映るワイドショーをぼんやりと眺めていると、1時間程で少し疲れた様子の父と母が戻ってきました。「このあと、先生から検査結果の話があるから」とだけ言って、父はそっと目を閉じます。
名前が呼ばれたのは、さらにそれから1時間が経ったころ。父に寄り添うようにして診察室へ入る母。私は祈るような気持ちで2人を見送ったのですが、すぐに「娘さんも一緒に聞いてほしいって」と、母が私を呼びに来ました。
そして告げられたのは……。
父は「すい臓がん」だということ。がんは広がり、主要な血管や神経に浸潤しているため、今の段階で大きな手術は難しいということ。年齢的に手術や化学療法は体の負担になることから、「何もしない」という選択肢もあるということでした。
「あぁ……そうですか」と、父は恐らくこの日一番大きな声を出し、母は小さく頷いて、そのまま医師の顔を見るのが精一杯。そして私は、「どうしても知りたいこと」を聞く決意をし、その言葉を医師に告げました。
私:「先生、もしこのまま何もしなければ、あとどれぐらい……」
医師:「そうですね。はっきりとは言えませんが、3ヶ月、かもしれません」
これは、私が予想していたよりも遥かに短い時間でした。そして、すぐに隣に座る父がショックを受けていることを感じ、私は「とんでもないことを聞いてしまった!」と後悔するのです。
すると、その状況に気付いたかのように「幸い、今のところ他に転移は見られません。抗がん剤治療をして、がんが小さくなれば手術する、という道もあります」と医師。
そして、さらに私たちを気遣うような優しい口調で、「まずは、黄疸の原因となっている部分を処置しましょう(※1)。すぐに入院の手続きをとりますね。今後については、ご家族でゆっくり話し合っていただいて……」と言い、父はこの日から1週間ほど入院することになりました。
(※1)がんが、胆汁(脂肪を消化するために必要な液体)の通り道である胆管を閉塞。これにより、胆汁の流れが滞っていたことで黄疸の症状が出ていた。内視鏡を用いてステント(管)を留置することで、胆汁の流れが改善される。
>>余命を告げられた父の、治療の選択とは
がんの情報収集がやめられない! そんな中「治療しない」「在宅介護」を選ぶ父
「沈黙の臓器」と言われている「すい臓」。ゆえに、すい臓がんは初期段階で症状が現れることはほぼないため、父のように黄疸が出たタイミングで発覚することも多いようです。
3ヶ月という数字が頭をよぎりながらも、「まずは抗がん剤治療を行ってみて、がんが小さくなれば手術できる可能性もある」という医師の言葉に望みをかけたい私。父が入院中に送ってきたメールにも、「抗がん剤をやってみようと思う」と書いてあり、私はそこからセカンドオピニオンも視野に入れ、1日のほぼ大半をがんの治療に関するあらゆる情報の収集に当てていました。
1週間後、黄疸が消え無事に自宅へ戻ってきた父。 「やっぱり自宅はいいね~」そう呟いてホッとした表情を浮かべながら、次に父が口にしたのは「もうね、病院には行かないよ。だから、治療もしない。このままずっと、家にいる」という言葉。
「えっ? この前、抗がん剤やるって言ってたよね? 病院に行かないって、そんなことしたら……」
>>思わぬ父の言葉に動揺。そのとき母は…
父の意志が大事だとわかっていても「治療しない」は受け入れられない。そのとき母が言ったこと
私は自分でも驚くほど興奮し、父の言葉をすんなりと受け入れることができませんでした。しかし父はすでにこのとき、自分の「余命」を受け止めていたのだと思います。その上で、「残された時間があと3ヶ月だとしたら?」と考え、「治療せず、家にいる」という結論に達したのです。
何よりも大切なのは、父の意志。今は、父の気持ちに寄り添うことが最優先。頭ではそう分かっているものの、目の前に「少しでも長く生きられるかもしれない」可能性があれば、何とかそれにすがりつきたいと思ってしまう。私は、その後も治療に関する情報収集をやめることができませんでした。
でも、そんな様子を見た母が、めずらしく強い口調で私に言ったのです。
「もう、パパの好きにさせてあげよう!」
そこから再び家族で話し合い、父の想いを尊重することになりました。そして、父の「在宅介護」が始まったことにより、義母との「W介護」を経験することになるのですが……。これはまた、次回お話ししたいと思います。