さんきゅう倉田です。吉本興業で芸人をしています。
最近の悩みは、キャンパス内で新たに出会った同級生がぼくに敬語を使い続けていることです。
東大には「進振り」という制度があって、2年の夏季休暇中に進学する学部を選択します。学部が決定すると、秋学期からはその学部の専門科目を履修することになります。
ぼくは予定通り経済学部に進学し、ミクロ経済学やマクロ経済学、会計、統計などの授業を受けています。今はまだ駒場キャンパスですが、4月からは本郷キャンパスに通学し、毎日赤門を眺める予定です。
一部の2年生は、駒場キャンパスにいる間に、さまざまな分野の授業を受けようと考えています。「教養学部」という方式が文理を問わない多様な講義を開放し、学生たちに可能性を提供してくれています。その恩恵に預かることができるのは、2年の秋学期が最後です。
ぼくもジェンダーや国際関係、遺伝学など、これまで学んでこなかった領域に関心を示し、履修しています。受けてみて、全く興味がない場合もあります。
遺伝学の授業ではゲノムの話が続き、退屈してしまいました。立ち見が出るほど盛況な授業なので、誰かに席を譲りたいと思います。
ジェンダーの授業では、自分が知らなかった、かつ知るべき知識が多いように感じます。今回はその学びの一部を紹介します。
日傘はいつから始まった?
街では去年くらいから日傘をさす男性が急激に増えたように感じます。美容への関心が高そうな若い男性だけでなく、ぼてっとしたおじさんがさしているのも見かけます。
ぼくも日傘を使っていますが、それまではちょっとさしづらかった。少しずつ“男性も日傘をさす”ことが一般的になっています。
しかし、江戸時代では男女の区別なく日傘が使われていました。ところが、贅沢品を禁止するお触れで日傘が禁止になり、その後髪を保護するという理由で女性のみ日傘の使用が許可されます。
どうやらこのような経緯で、日傘は女性の用いる道具として認識されるようになったようです。
ジェンダーの授業の先生はこう言います。
「これは社会が勝手に作り上げたイメージ。そして、社会が作るイメージで、勝手ではないものはない。」
このイメージが、男性の日傘の使用を妨げていると先生は言います。
そういうときに、東大生は「ふむふむ、そうかそうか」とはなりません。「本当にそうかな」と疑ってかかることが、学問との正しい向き合い方です。
先生の教えてくれた経緯はファクトチェックされた事実として受け入れます。しかし、男性が日傘をさしづらいのは、日傘が女性の道具だと社会的に認識されているからなのでしょうか。
他にも理由がありそうじゃないですか。
例えば、「日焼けや肌荒れを気にしていると思われることが恥ずかしい」ことも理由の一つではないでしょうか。直接的に日傘をさすということが恥ずかしいのではなく、「男性なのに過度に肌へ執着している」と思われるのではないかという懸念はあるでしょう。社会が勝手に決めた“男らしさ”ではあるけれど、それに反するリスクは多大です。
社会が作った“男らしさ”を好意的に見ることは、一般的です。男らしい男性を好む女性は大勢いるでしょう。“男らしさ”に反すれば、意中の人が自分に対する興味を失うかもしれません。
▶つづきの【後編】では、男性の日傘以外にもステレオタイプや偏見はみられるとか。赤ちゃんの性別と対応の違いの関係についてお届けします。__▶▶▶▶▶