さんきゅう倉田です。吉本興業で芸人をしています。芸歴15年。主な仕事は、講演、執筆、取材対応、メディア出演です。
2024年10月から、TOKYO MXの「おはリナ!」という番組に出演しています。平日あさ7時~8時で、経済のコーナーを担当しているので、毎朝9chをつけてください(東京でしか見られません)。
日々会うのは東大の学生ですが、稀に卒業生と交流することがあります。先日はキャンプに行きました。
その卒業生は海運の会社で働いていて、上司はイギリス人です。
この上司は、普段は日本にいませんが、定期的に東京オフィスにやってきます。その際は、日本を楽しんでもらおうと日本人スタッフでもてなします。具体的には食事に連れて行くんですが、好き嫌いが多いため、店選びに苦労するそうです。
アレルギーはないんだけれど、「魚と貝はアレルギーでダメなんだ」などと言います。
他にも嫌いな食べ物があるため、使えるお店が限られます。
ぼくはその話を聞いて、日本人の感覚とは大きく異なると思いました。いい歳をした大人が、あれが食べられないこれが食べられないとい言っているのを聞いたことがありません。
ぼくの母親はうなぎ、父親は人参が食べられないけれど、ひとつくらいなら誰にでも嫌いな食材があるでしょう。ぼくの尊敬する芸人の先輩はイカが食べられないけれど、それだけです。ぼく自身に嫌いな食材はありません(克服した)。
アレルギーなら仕方ないけれど、そうでないのに嫌いな食べ物が多いのはどういうことなんだろう。きっと文化的な違いがあるんだろう。みんなで考えることにしました。
日本の文化から考える
友人A 「日本には“もったいない”の精神があるよね。つまり、食べ物を残すことが悪であるという考え方が社会の共通認識として存在するよね。子供の頃に嫌いな食べ物を残せば、家だけでなく学校の先生にも食べることを強制された。克服することを求められたよね。大人になって嫌いな食べ物がたくさんある場合、子供っぽいと思われるかもしれないし、間違いなく良い印象は持たれない。君は魚も貝も野菜も食べられないんだ、仕方ないね、そういうことってあるよねとは決してならない。嫌いな食べ物が複数あることに対して疑問を持たれるかもしれない」
海外の文化から考える
友人B 「ぼくは海外にずっと住んでたからわかるんだけど、ヴィーガンが多いんだよね。若い子の中にはファッションでヴィーガンをやっている子もいる。それに様々な宗教を信仰する人がいて、戒律によって食べられないものが異なる。自分の食べられるものと他人が食べられるものが異なることが自然なことなんだ。ヴィーガンって言葉はよく聞くけどさ、もう少し広い意味のベジタリアンにはたくさんの種類があるんだよね。彼らは食べないものを選ぶよね。野菜しか食べないとか野菜に加えて乳製品は食べるとか。つまり、選択的に何かを食べない文化が根付いている。そうすると、食べられない食材があるということに違和感を持たないんじゃないかな。食べたくないなら食べなきゃいいじゃんとか思う人もいるかも」
友人C 「そもそも、イギリス人はご飯に興味がないんじゃないかな。少なくともイギリスの料理は日本人の口には合わないし、もったいないの精神が強い人でもイギリスに行ったら食事を残すよ」
友人B 「どんだけ不味いんだよ」
▶続きの【後編】では、どうして日本字は「いただきます」「ごちそうさま」を言うのか?についても東大生たちが考えてみた!__▶▶▶▶▶▶
【編集部より】