「うちの子は算数が苦手で…」「私は文系だから…」。保護者面談やセミナーで、そんな一言とともにお子さまの算数嫌いを受け入れてしまう親御さんは少なくない。しかし、算数は一部の人だけがもつ才能の専売特許ではない。適切な環境づくり・声かけ・学び方の設計で、誰でも力を伸ばすことができる。近年の脳科学と心理学の研究が、繰り返しそう示している。スタンフォード大学・オンラインハイスクール校長で哲学博士の星友啓氏は、2026年3月、新刊『子どもの算数力の育て方』(あさ出版)を刊行。本書のエッセンスを、子育て世代に向けて寄稿してもらった。【星 友啓氏プロフィール】 スタンフォード大学・オンラインハイスクール校長。哲学博士。1977年東京生まれ。東京大学文学部思想文化学科哲学専修課程卒業後に渡米し、テキサスA&M大学哲学修士、スタンフォード大学哲学博士号を取得。同大学の哲学オンライン講義プログラム立ちあげを経て、2016年よりスタンフォード大学・オンラインハイスクール校長に就任。著書に『スタンフォード式生き抜く力』(ダイヤモンド社)、『全米トップ校が教える自己肯定感の育て方』(朝日新聞出版)、『脳が一生忘れないインプット術』(あさ出版)など多数。「文系家系だから」という一言が、子供の算数嫌いを育ててしまう 保護者面談で「うちは文系家系で…」とおっしゃる親御さんに出会うたびに、私は少し胸が痛くなります。というのも、算数嫌いの親御さんが頻繁に宿題を教えると、子供の算数の成績が下がり、算数嫌いになりやすいことが研究でわかっているからです。親自身の苦手意識が、声のトーンや表情、何気ない一言を通じて、子供に静かに「伝染」してしまうのです。 アメリカで行われた双子を対象にした研究では、算数嫌いの個人差のうち遺伝で説明できるのは約40%。残りの60%は、環境要因。つまり、周りの大人からのメッセージや学び方の設計によるものでした。「向いていない」のではなく、「まだ適切なサポートが届いていないだけ」。この視点の切り替えが、すべての出発点になります。 脳はトレーニング次第で構造そのものが変わります。ロンドンのタクシー運転手は、数年かけて複雑な道路網を覚えることで、空間処理を担う海馬が大きくなり、引退すると元のサイズに戻ります。算数障害をもつ9歳の子供たちに8週間の1対1基礎トレーニングを行った研究では、子供たちは同年代の算数水準に追いつき、脳の恐怖・情動回路(扁桃体)の反応まで落ち着いたと報告されています。 「才能がない」のではありません。環境と設計で、算数の力は必ず伸ばせます。「速く解ける子が賢い」は、脳科学的には誤解です もう1つ、多くの保護者の方が無意識に信じている常識があります。「速く正確に解ける子=算数ができる子」というイメージです。 教室でも家庭でも、つい「もっと速く」「タイムを縮めよう」と言ってしまいがちです。しかし、スピード重視の勉強法は、算数が好きな子のやる気さえも静かに冷やしてしまうことがあります。 理由は1つ、時間のプレッシャーが脳のワーキングメモリーに過大な負荷をかけてしまうからです。ワーキングメモリーとは、言葉やイメージを現在の意識にホールドしておく脳の働きのこと。大人も子供も、意識下にホールドしておけるものの個数は3つから5つくらい、というのが最近の定説です。ただでさえ難しい算数に時間のプレッシャーをかければ、普段は知っているはずのことが思い出せなくなり、「自分はできない」という自己効力感の低下につながってしまいます。 数学者ロラン・シュヴァルツは、若いころ「自分は問題を解くスピードが遅いから頭が悪い」と思い込んでいました。彼が数学者として大成したのは、速さと知性は別物であり、重要なのは深く理解することだと気付いてからです。 私が本書で提案しているのは、計算の速さではなく「数字センス」を育てること。数字を柔軟に、意味を理解して扱える力のことです。たとえば「7×8」を「56」と即答できるのは暗記ですが、数字センスがある子は「7×7は49。そこに7を足して56」と、自分の中で数字を組み替えて導き出せます。 OECDのPISA調査でも、成績の低い子ほど「暗記」を重視し、高い子ほど「概念のつながり」に注目して学んでいることがわかっています。暗記で正解を速く出す子ではなく、数字の意味と関係を掴む子のほうが、長い目で見てずっと遠くまで進めるのです。間違いは「脳のアップグレード通知」です 算数の力を伸ばすうえで、もう1つどうしてもお伝えしたいことがあります。 それは、「子供が間違えた瞬間、親がどう反応するか」が、算数との向き合い方を決定的に左右するということです。 最新の脳科学では、子供が間違えたときに脳の働きがより活発になり、高い学習効果が得られることが明らかにされています。間違えた瞬間、脳内ではドーパミンが分泌され、ニューロン回路がアップデートされるように準備が整う。つまり、間違いは「脳のアップグレード通知」なのです。ところが、ここで「そんな簡単な問題、なんでできないの」「あんたはダメね、がっかりよ」といった言葉が飛んでしまうと、子供は萎縮し、間違いを恐れ、難しい問題にチャレンジしなくなります。脳が変わろうとしている最大のチャンスを、子供自身が避ける体質をつくってしまうのです。 ぜひ試していただきたいことがあります。「できた!」ではなく「やってみた!」を褒めてみてください。そして、間違えたときには、「どこでどう間違えたのか」を一緒に確認し、正しいやり方を一緒に考える。声かけをこう転換するだけで、子供の算数に向かう姿勢はまったく違ったものになります。 ちなみに、NG声かけの代表格として本書では「算数はイヤだとか言っちゃダメ」という一言もあげています。「嫌い」の感情を抑圧させるのは逆効果。むしろ「なぜ嫌なの?」と問いかけ、言葉にして話すことで、不安は和らいでいくことが研究で示されています。食卓・公園・リビング…家庭でできる「数字センス」遊び では、忙しい毎日の中で、親御さんに具体的に何ができるのか。本書では「リビングで算数トレーニング 数字遊びアイデア集」として、準備いらずで5~10分でできるアイデアを紹介しています。ここでは4つだけご紹介します。・サイコロ「10ぴったり」(未就学児から)サイコロを2~3個振って、合計をちょうど10(慣れたら20や50)にします。小学生以上は足し算だけでなく、引き算・かけ算・わり算を組み合わせてもOK。数の分解と暗算、概算の力が自然に育ちます。・トランプ「12/24ゲーム」(小学1・2年生から)目標値を決め、引いたカードを四則演算で組み合わせて目標の数をつくります。1つの数をいろいろな式で表す経験が、数字センスの土台になります。・カレンダーダービー(未就学児から)「運動会まで何日?」「平日だけだと何日?」「3週間前はいつ?」。壁掛けカレンダーを前に問題を出しあうだけで、日付計算・逆算・倍数の感覚が身に付きます。・カジュアル算数会話食卓で「この料理を4人で分けると1人分はどのくらい?」、公園で「あのマンション、隣のより高いね」。特別な時間を設けなくても、会話の中に数字や量や空間のことばを混ぜるだけで十分です。 コツは、「1回5~10分で切りあげる」「もっとやりたいで終わる」こと。点より継続。毎日どれか1つ、1週間のローテーション表を冷蔵庫に貼っておくのがお勧めです。「好き」はつくれる。やる気は偶然ではなく、設計できる 算数の偏差値が10上がれば、平均で18%収入が上がるという研究データがあります。年長時の算数スキルテストが1点上がると、20代後半の年収が1万円以上アップするという報告もあります。算数が「学校の1科目」ではなく、子供の人生の土台を支える最重要スキルの1つだということは、データがはっきり示しています。 しかし、私が本当にお伝えしたいのは数字の話ではありません。「好き」はつくれるということです。やる気は偶然ではなく、設計できます。花は、根が育ってから咲きます。根を伸ばす時期には、外からは変化が見えにくいものです。でも、その見えない時間こそが、のちの大きな開花を支えています。どうか周囲のペースに振り回されず、お子さまの時間を信じてあげてください。比べる相手は他人ではなく、昨日の自分。それで十分です。今日の食卓から、週末の公園から、リビングでのちょっとした会話から。小さな一歩が、驚くほど大きな変化を生みます。 脳科学と心理学の確かなエビデンスに基づき、今日から家庭でできる声かけ・遊び・学び方の設計で、子供の算数力を底あげするガイドブック。3歳から12歳のお子さまを中心に、数字トレーニング、NG声かけ12選、間違いへの対応、リビングでできる数字遊びアイデア集など、すぐに使える実践をまとめた1冊。