50歳で夫が急逝、多額の負債、2度の大病…。どん底から年商7億のビジネスを成功させた、モナコ王宮前で暮らす女性起業家の壮絶な人生とは | NewsCafe

50歳で夫が急逝、多額の負債、2度の大病…。どん底から年商7億のビジネスを成功させた、モナコ王宮前で暮らす女性起業家の壮絶な人生とは

女性 OTONA_SALONE/LIFESTYLE
50歳で夫が急逝、多額の負債、2度の大病…。どん底から年商7億のビジネスを成功させた、モナコ王宮前で暮らす女性起業家の壮絶な人生とは

50歳で夫の急逝と多額の負債を抱え、2人の子どもを育てながら起業するも2度の大病——。すべてを失いどん底の状態から、年商7億のビジネスを築き、いまはモナコ王宮前で暮らす唯一の日本人女性起業家となったエミチカ氏。

専業主婦からの起業、TED公式スピーカー、国際舞台での活躍まで、年齢にとらわれず「美しい野心」で人生を更新し続けています。

本記事では、エミチカ氏を襲った4度の試練、それを不死鳥のように乗り越えてきた軌跡を、エミチカ氏の著書からご紹介します。

※本記事は書籍『美しい野心があなたを変える モナコ流 夢を叶えるOne&Onlyな生き方』(エミチカ:著/日本実業出版社)から一部抜粋・編集したものです

遅咲きの人生で成し遂げたもの

「エミチカさんは、遅咲きですよね」と知人にいわれるくらい、私の人生は遅咲きだと思います。私が人生でやりたかったことは、50歳をすぎてから成し遂げました。

もちろん、人生に早い遅いはないと思いますが、一般的には遅咲きだと思われる年齢ですし、私もそう思います。そして、遅咲きだとはいえ、今も止まることなく、私の美しい野心は進化しています。

私は現在、世界中のセレブが集まり、「大富豪でなければ住めない」といわれている地中海に面した小さな国モナコで、モナコ大公と大公妃が暮らす王宮の前で暮らしています。そして、そこで暮らすことを許された唯一の日本人として、世界中を駆け巡る生活をおくっています。

ビジネスでは実業家として美容事業を手掛け、アジア圏を中心に年商7億円規模のビジネスを展開できるようになりました。2022年には海外TED公式スピーカーとなり、総再生数200万回に達成して世界No.1になりました。これは、日本人女性として初めてのランクインです。

また、2023年には一般財団法人KELLY CLUB JAPONを立ち上げ、様々な著名人の方をゲストに迎えたネットワーキングレセプションを開催しています。2024年にはNew York C3 DAVOS OF HEALTHCARE SUMMITにスピーカーとして招待され登壇しました。

書籍の出版も、本書で3冊目です。このように遅咲きの人生ではあるものの、短期間でたくさんの美しい野心を叶えてきたのです。

そんな私があなたにお伝えしたいことは、「美しい野心を叶えるのに年齢は関係ない」ということです。しかしながら、遅咲きの人生の華やかな経歴の裏には、実は4度の試練の時期がありました。今に至るまでが壮絶だったのです。

そして、この試練があったからこそ、美しい野心が生きる支えとなり、不死鳥のごとく4度の試練を乗り越えられたのだと思います。

夫の急逝と多額の負債 (1度目の試練)

私は眼科医の夫と2人の子どもに囲まれ、幸せな家庭の一主婦でした。しかし、私が50歳を迎えた年に最愛の夫が多額の負債を抱えたまま急逝しました。

夫が急逝した悲しみに浸っている暇もなく、ここから私の1度目の試練と悪戦苦闘の日々が始まります。実家の両親はすでに亡くなっていましたので、頼れる人はありません。私には、子ども2人を抱えて1人で頑張る道しかありませんでした。

私にできることといえば、医療から美容へという分野しかなかったので、経験はゼロでしたが美容事業を立ち上げました。それと同時に、夫が残した負債の返済やクリニックの後処理も同時進行でおこなっていきました。

今の私には、もう乗り越えたことですので過去の出来事ですが、当時は初めての体験ばかりで、とても苦悩しました。特に人間関係の醜い部分や、資本主義のドロドロした嫌なところを目の当たりにし、ショックを受けたことも、悔しい思いをしたことも、人間不信に陥ることも、たくさんありました。

ですが、その一つひとつの出来事に囚われてしまうと足がすくんで止まってしまうので、毎日毎日、自分を奮い立たせながら、寝る暇も惜しんで必死に働きました。

▶「これが人生のデッドエンドか」度重なる試練ですべてを失った結果…

私を襲った2度の病魔 (2度目と3度目の試練)

美容事業が年商7億円を超えて軌道に乗り始めて、「これでやっと生きていく道が見えてきた」とホッとしたのも束の間、2度の病魔が私を襲いました。胆のうを全摘した後、バセドウ病を患い、12回の手術が必要なくらい病は重篤な状態で、これが、2度目と3度目の試練です。

病については、私の1冊目の著書、『結局、「手ぶらで生きる女」がうまくいく』(PHP研究所)でもお話ししていますので、ここでは大病を患ったことで、私が失ったものにフォーカスしてお話ししたいと思います。

手術して入院している間は、必然的にビジネスはストップします。今までのように行動できないので仕方がないことなのですが、「これでやっと生きていく道が見えてきた」と思えた美容事業もすべて打ち切られ、仕事に復帰できるのか、それがいつなのかもわからない、不安な状態が続きました。

しかも、治療には大量のステロイド剤を投与します。ステロイド剤は体に蓄積され、その影響で体重は増加し、顔は腫れあがり、肌はボロボロです。私は自分をモデルや広告塔にして美容事業をおこなっていましたので、顔も容姿も様変わりした状態では、もうそれもできません。鏡に映る自分の姿を見るたびに、悲観に暮れる日々を過ごしました。

病室でずっと天井ばかりを見ていると、焦りと不安が膨らんできて心を蝕んでいきました。ここまでの苦労が水の泡と消えていく様を、私はただ茫然と眺めることしかできませんでした。このときの絶望感や無力感は、想像を絶するものでした。「あー、これが人生のデッドエンドか…」と、私は何度も何度も思いました。

幸い、医師の尽力もあって病は回復していきましたが、ステロイド剤の影響や大病によって失ったものの大きさを実感するたびに、私は躁鬱状態になっていました。ですが、今思い返すと、私はこの躁鬱状態をも上手く利用していたのかもしれません。

躁鬱状態は、鬱の状態であれば悲観的な考えに支配されて、もの凄く落ち込みます。躁の状態では「ようし!やるぞ!」と狂ったようにハイテンションになるのです。

感情の起伏が激しく、自分ではコントロールが難しいのですが、私は躁の状態の「ようし!やるぞ!」という狂ったようなハイテンションを利用して、新しく美しい野心を思い描き、自由に行動できるようになったときの妄想を膨らませていきました。

世界中の経営者が経験したコロナ危機 (4度目の試練)

大病を乗り越え、再び自由に動けるようになった私は、世界中のセレブが集まる地中海に面した小さな国、モナコで暮らし始めました。病室で動けなかった時期の反動もあったかもしれませんが、モナコでの生活は希望に満ち溢れていました。私は、「人生のデッドエンドは乗り越えた!これからは人生のリスタート!」と思っていたのです。

モナコは、私が憧れている元ハリウッド・スターのグレース・ケリーが、モナコ大公妃となった国です。目に映るものすべてが新鮮で刺激的でした。私の新しい美しい野心は、モナコでグレードアップされていきました。

そんなときです。私に4度目の試練が襲いかかりました。それは、新型コロナウイルスによるコロナ危機です。心機一転、モナコで再起を試みていた私は、「さぁ、どうする?」と4度目の試練を冷静に受け止めていました。

なぜ冷静に受け止めていたかというと、コロナ危機は、確かに世界中を襲い、中には自殺者が出るほど追い込まれた経営者もいたようですが、私はすでに2度目と3度目の試練ですべてを失っています。今まで積み上げてきたビジネスはもうできない状態でした。

私にはそのときの試練のほうが、孤独で重いものだったのです。だから、コロナ危機は冷静に受け止めることができました。

さらに、世界中が落ち込んでいた時期なので、私一人が試練を味わって苦しんでいたわけではありません。逆に「みんなで、この試練をどう乗り越えようか?」という雰囲気に包まれていたので助けられた気がします。

当時は、モナコで再起を考えて情報のアンテナを張り巡らせていた時期でした。その情報のアンテナから、私は「オンラインビジネス」という、今までとは違った新しい切り口のビジネスと出会いました。そして、「オンラインの教育ビジネス」を始めることにしました。

Zoomなどを使ったオンラインビジネスは、私には未知のものでしたが、楽しそうに使いこなしている人が周りにいましたので、素直に教えを請い、学んで実践していきました。

もちろん、初めてのオンラインビジネスですので、「上手くいかなかったらどうしよう?」とか、「失敗したら?」と考える人もいるかもしれませんが、そのときの私は、そういった不安や恐れを抱くほどの過度な期待をしていなかったのだと思います。

「楽しそうだし、やってみようかな?」という軽い気持ちで、新しい切り口のビジネスに興味津々といった感じでした。

やってみると想像以上に上手くいき、現在では、私のビジネスの一つになっています。そして、このオンラインビジネスでも、私は美しい野心を思い描き、次々にそれらを叶えていきました。

それが海外TED公式スピーカーのチャンスだったり、一般財団法人KELLY CLUB JAPONの立ち上げだったり、New York C3 DAVOS OF HEALTHCARE SUMMITのスピーカーのチャンスだったりと、今もなお、どんどんグレードアップしています。

著者略歴:エミチカ
一般財団法人 KELLY CLUB JAPON 代表理事/EMICHIKACo.Ltd 代表取締役。モナコのパレスエリア(王宮前)に暮らす唯一の日本人。50歳で夫を亡くし、多額の負債を抱えながらも専業主婦から経営の世界へ。経験ゼロから始めた美容事業をわずか5年で年商7億円へ成長させる。その後の大病を機に、「手ぶらで生きる」人生へと大きく舵を切り、2018年、語学力も人脈もないままモナコへ渡る。2022年、海外TEDxスピーチが世界月間再生回数1位(日本人女性初)を記録。2023年、未来を切り拓く女性のためのエグゼクティブ・ソサエティ「KELLY CLUB JAPON」を創設し、女性経営者のさらなる飛躍とジェンダー平等実現を推進。国境を越えた交流と社会貢献活動にも注力し、貧困地域の子どもたちへの医療支援や、2024年国連総会連携サミット登壇など国際舞台で活躍中。著書に『結局、「手ぶらで生きる女」がうまくいく』(PHP研究所)、『「逢いたくなる」オーラをはぐくむモナコからの言葉77』(幻冬舎)など。

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