「乳がん」と夫に告げたら「胸は残せよ。あと、俺のメシはどうなるんだ?」と言われて。危機の瞬間に見えた夫の正体とは | NewsCafe

「乳がん」と夫に告げたら「胸は残せよ。あと、俺のメシはどうなるんだ?」と言われて。危機の瞬間に見えた夫の正体とは

女性 OTONA_SALONE/LIFESTYLE
「乳がん」と夫に告げたら「胸は残せよ。あと、俺のメシはどうなるんだ?」と言われて。危機の瞬間に見えた夫の正体とは

モラハラ・夫婦カウンセラーの麻野祐香です。

働く女性は、モラハラやDVの夫から簡単に逃げられるのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。さまざまな事情で、支配的な配偶者との結婚生活を続けている人たちは少なくありません。

オトナサローネ世代のモラハラ被害にフォーカスした本連載、今回は、乳がんの告知をきっかけに、夫の本質を見極めたTさんのお話をお届けします。

乳がん宣告「夫に伝えたら、心配してくれるかもしれない」と思ったけれど

Tさんが体の異変に気づいたのは、40代に入ってすぐのことでした。

定期検診で「要精密検査」の通知が届き、再検査の結果、医師から「乳がんです」と告げられた瞬間、頭の中が真っ白になったといいます。「これから一体どうなるの? 治療費は、どれくらいかかるのだろう。仕事は続けられるのかな。ああ、子どもがまだ小さいのに…いつまでそばにいてあげられるんだろう」次々と押し寄せてくる不安の波の中で、Tさんがとっさに思い浮かべたのは、夫の顔でした。

「私ががんだと夫に伝えたら、さすがに驚いてうろたえてくれるだろう。もしかしたら泣いてくれるかもしれない。やっと、私の大切さに気づいて支えてくれるかもしれない」

そう考えたといいます。

10年あまりの夫との結婚生活。結婚前は優しかった夫でしたが、モラハラが年々ひどくなり、この数年は、Tさんの心を傷つけるばかりの毎日が続いていました。些細なことで怒鳴る。気に入らないことがあれば暴言を吐く。Tさんが仕事で疲れて帰宅しても、体調が優れない日であっても、夫が気にかけてくれた記憶はほとんどありません。

なにより出産後、帰宅したその夜に性生活を強要され、「産後すぐは無理だから」と断ったことで怒鳴りつけられたことは、今でも忘れられない記憶でした。最後に優しい言葉をかけてもらったのは、いつだったのか。もう思い出せないほど遠い昔のことになっていました。

夫婦の会話といえば、家事の指示か、Tさんへの不満か、そのどちらかでした。それでもTさんは、離婚という選択肢を選ぶことができませんでした。子どもがいる。生活がある。長年積み重ねてきた時間がある。そして何より、どこかでこう思い続けていたのです。

「この人も、本当は優しいところがあるはずだ。いざというときは、きっと優しい夫に戻ってくれるはずだ」と。

モラハラをされ続けても「どこかに良いところがあるはず」と思ってしまう

人はなぜ、傷つけられながらも相手への期待を手放せないのでしょうか。それは弱さではありません。「信じたい」という気持ちは、人間にとって自然な感情です。特に長年連れ添った相手に対しては、「どこかに良いところがあるはずだ」という思いを抱いてしまい、それが現実逃避のように理想を追い続ける原因となります。

長年にわたるモラハラの中でも「いつか変わる」と信じ続けてしまう心理を、専門的には「トラウマボンディング(外傷的絆)」と呼ぶことがあります。傷つけられながらも相手から離れられない状態は、Tさんの意志の問題ではありません。それほどまでに、心が追い詰められ、傷つき、辛さに慣れてしまっていたのです。自分が傷ついていることにさえ、気づきにくくなってしまうのです。

辛い日々の中でも、「あの頃は優しかった」「子供が生まれた日は嬉しそうだった」「たまには笑って話せることもある」そんな小さな記憶が、離れることへの迷いになってしまうのです。Tさんもずっとそうでした。

Tさんは当時のことをこう話してくれました。

「癌だとわかった瞬間、頭の中で最初に浮かんだのが夫の顔だったんです。病気は怖かった。でも同時に、これでやっと夫が変わってくれるかもしれないという気持ちもあった。情けないですよね、こんなときでも夫に期待していたんだから」と。

情けなくなんかありません。それだけ、信じたかった、それだけなのです。

だからこそ、がんを告知されたあとも、Tさんは夫が労わってくれると期待していました。人生で最も恐ろしい瞬間に、それでも夫を信じようとしていたのです。モラハラだとわかっていても、やはり優しい人だったと信じたかった。病気という極限の状況が、Tさんの中に残っていた「夫への最後の期待」を呼び起こしていました。

「面倒なことになったな」と吐き捨てた夫。さらに「胸は残せ」と言った理由は

しかし、夫の口から出た言葉は、こうでした。

「なんだよ。面倒なことになったな。子どものことは誰が見るんだ。俺のメシはどうなるんだ。家の掃除は誰がやるんだよ」

Tさんは、その場で泣くことすらできなかったといいます。病気への恐怖よりも、夫への絶望が、静かに、しかし確実に、Tさんの中に広がっていきました。長年抱き続けてきた「いつか変わってくれる」という期待が、その一言で音を立てて崩れていく瞬間でした。治療の方針を決める段階で、Tさんは担当医から、温存療法と乳房切除のどちらかを選ぶよう告げられました。温存療法は、がん細胞のある部分だけを取り除き、乳房を残す方法です。一方の乳房切除は、乳房全体を取り除く手術で、再発への不安が比較的少ないとされています。

どちらを選択しても、術後には放射線治療が必要になります。医学的な観点では、どちらを選んでも生存率に大きな差はないというデータがあるそうです。Tさんは、胸を切除する悲しさよりも、再発の恐怖を少しでも減らしたいという思いを選びました。しかし夫は、こう言ったのです。

「胸は残せ。女として見られなくなる」

Tさんには、その言葉が自分のためではないことが、すぐにわかりました。妻の体を心配しているのではない。自分の都合で言っている。そのことが、痛いほど伝わってきたのです。病気の不安よりも、妻がどう見えるかを優先する。そこには、妻への思いやりのかけらもありませんでした。Tさんは夫の話を聞きながら、心の中で静かに決めていました。

「この人のためではない。子どものために、とにかく生きなければならない」

医師と十分に話し合い、Tさんは乳房切除を選択しました。再発リスクを少しでも下げ、子どものそばで長く生き続けるための決断でした。

実はTさんは、子どもの頃に母親を乳がんで亡くしていました。あのときの辛さを、自分の子どもたちに経験させたくない。子どもたちの母親として生き続けることが、今の自分にできる唯一のことだと考えたのです。

本編では、乳がんを告知されたTさんが、夫の冷たい言葉によって「夫への最後の期待」が崩れていった経緯についてお伝えしました。

▶▶「気持ち悪いから見せるなよ」術後の妻に夫が吐いた言葉…私が離婚を決めた理由

では、抗がん剤治療の苦しみの中で突きつけられた夫のさらなる言葉、そして寛解の日にTさんが下した決断についてお届けします。


《OTONA SALONE》

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