歌舞伎役者の家に引き取られ、芸の道に人生を捧げる主人公・喜久雄の50年を描いた壮大な一代記が、壮絶で胸が熱くなると観る者を圧倒し、吉沢、横浜流星を始め、黒川想矢、越山敬達、田中泯、渡辺謙の役者陣が吹き替えなしで挑んだ歌舞伎シーンにも話題沸騰の本作。
第98回米国アカデミー賞国際長編映画賞日本代表にも決定している。
吉沢亮、L.A.で真摯に回答「芸術への献身に集中しました」現地時間11月18日(火)18時からアカデミー・ミュージアム(映画博物館)内のTed Mann劇場にてジェトロ(日本貿易振興機構)ロサンゼルス事務所主催イベント「J-SCREEN」の一環として、アカデミー賞日本代表に選出された本作の特別上映会が開催。
上映前に李監督が登壇し、「こんばんは、ようこそお越しくださいました」と英語で挨拶。そして、幼い頃に観たアメリカ映画の原体験を語り、また19歳の頃に訪れたハリウッドでの想い出を話し、今回この地で上映されることを大変喜んでいた。
そして、エンドロールが始まると会場からは割れんばかりの大きな拍手とともに「ブラボー!」の声も聞こえ、その中を吉沢と李監督が登壇。上映後の舞台挨拶を行った。
司会のレベッカ・サンより「李監督は、長い間、歌舞伎についての映画を撮りたいと考えていらっしゃいました。この世界に惹かれたのはなぜですか?」との問いに、李監督は「僕は歌舞伎の中でも特にこの女形という存在に非常に魅了されました」と回答。「美しさはもちろんのこと、ちょっとしたグロテスクさもあり、多分たくさんのものを失いながら一生涯をかけて芸を究めていく。非常に純粋で稀な生き物な気がしています。なぜ彼らがそこまで高みを目指すのか、彼らの人生の見えない部分を知りたい、解明したいと思ってこの企画に着手しました」と本作の制作のきっかけを明かした。
1年半もの時間かけて稽古した歌舞伎への取り組み方、プロセスを聞かれた吉沢は「僕自身、歌舞伎を見たことはありましたが、深く理解していませんでした。そのため、基本的にはゼロからのスタートでした。稽古を始めて最初の 3~4 か月は、『すり足』という歩行技術の練習だけでした。そして、基礎稽古の後、実際の踊りに移っていきました」と語る。
「その中で、本物の歌舞伎役者のレベルには決して到達できないだろうと悟りました。ですから、僕はただ、その芸術への献身に集中しました。それは喜久雄の中にも本当にある想いで、喜久雄という役を演じるうえでも相乗効果があったと思います」と話した。
また、本作の映像について、「撮影監督であるソフィアン・エル・ファニと、どのように協力して異なる時代を視覚的に表現したのですか?」の質問に李監督は、「彼の美的感覚やその言葉がはっきり分からなくても、役者のお芝居を見抜くあの目、そういった力を信じて撮影をお願いしました」と明かす。「ソフィアンと相談して、基本的な考え方として、歌舞伎の撮り方を3つのレイヤーに設計を立てました。まずは、歌舞伎全体の美しさがしっかり伝わるように、その歌舞伎の様式美を捉える、しかも映画の観客がまるで舞台を観ているかのように体感できるようなショット。2つ目のレイヤーは、客席など、歌舞伎役者の世界から見た視点。3つ目が一番重要なのですが、その舞台にいる彼らの内面。例えば、喜久雄が今どんな重圧をかけられて、どういった自分の内面的な爆発を抱えながら舞台にいるかという、光と影で言うと影の部分まで映るように、クローズアップを撮る。その3つのレイヤーで設計しました」と語った。
吉沢へは「歌舞伎をマスターするだけでなく、喜久雄の経験レベルや感情の状態、年齢に応じて演技の仕方を変える必要もあったと思います。彼の人生の異なる段階で、キャラクターをどのように演じ分けましたか?」と質問が。
吉沢は「李監督の演出として、踊りのシーンでも、お初として『曽根崎心中』を演じているシーンでも、ただただ稽古したことを美しく踊るということではなく、そのときに舞台に立っている喜久雄の心境になって踊ってくれと言われました。『お初』という役ではなく、『お初を演じている喜久雄』でいてくれ、と。そのため、技術的な面で形を変えていくというよりは、そのシーンの前に起こったことや、今そこに喜久雄が立っている覚悟や恐怖、そういう感情によって内側から出てくるもので踊っていくということを意識していて」と回答。「他の歌舞伎役者さんと手法は全然違うと思いますが、そのときの喜久雄の心境によって少しずつニュアンスは変わっていたと思いますね」と話した。
会場は、涙を流す観客や、吉沢、李監督の発言を熱心にメモする観客もおり、舞台挨拶の最後はスタンディングオベーションで吉沢、李監督を見送り、幕を閉じた。
そして翌日は、有名な観光名所ハリウッド・サインを訪れた吉沢と李監督。
今回ロサンゼルスを初めて訪れた吉沢は、「写真などではよく拝見していましたが、実際に見ると違いますね」と快晴の中、笑顔で語り、李監督は「最初にハリウッド・サインを見たのが10代の頃。当時は驚きましたが、今は何か感慨深いものがあります。距離が不思議と近く感じます」と話した。前日の上映会をふり返り、吉沢は「迎え入れてくださる時の拍手や僕たちが話している時に観客の皆さんが頷きながら聞いてくださっていて、すごく深いところで観てくださっているということが伝わってきました」と感激を込める。
李監督は、「歌舞伎を題材にしているので、どこまで理解してくださるのかという懸念は少しありましたが、そういったものを超えて何か迫力を感じ取ってくれている」と語り、「特に“喜久雄(吉沢)”が登壇したときの『本物が現れた!』と、空気がざわつく感じがあり、肌で感じるものがありました」とアメリカでの上映の手応えを語った。
“喜久雄”が目の前にいる!会場から大きな拍手がその後、来年の北米公開に先立ち、先行限定劇場公開をしているAMC Universal Cityでも舞台挨拶を実施。前日の上映会同様、吉沢が登壇するとそれまでスクリーンで観ていた“喜久雄”が目の前にいる!と会場からは大きな拍手が巻き起こる。
ここでは「歌舞伎を題材にした映画ですが、特にハリウッドで観てもらう意義、役者の人生そのもの、歌舞伎役者もハリウッドの映画スターも同じように自分の人生を犠牲にしながら芸術家として高みを目指して、何かその狂気を含め畏怖心と美しさを感じる。それは日本のみならず、世界的に普遍的な感動をもたらすと思っています」と李監督がコメント。
吉沢は、「(日本での大ヒットを受け)これほど日本のお客様が歌舞伎を題材にした映画を愛してくれると想像もしていませんでした。芸事に対する愛憎、ひたむきに向かっていく人間たちがものすごく美しく、お客様に観ていただけたのかと思っています。それは日本だけではなく、アメリカでも、世界中で共感してもらえることではないかと思います。世界の皆さまに観ていただける機会が増えればいいなと思っております。ぜひお力添えをいただければ非常に嬉しく思います」と話した。
上映を観た観客からは、「歌舞伎という芸術に詳しくない自分でも、とても感動しました。伝統が文化の芸術表現にどのように影響しているのかを見るのは、とても興味深いですし、その裏にある完璧を追求するための犠牲や、舞台の裏側の人生が垣間見えるところも本当に面白かった」と声が。「アメリカでもヒットすると思います。日本や日本文化には厚みがあって、その深さをしっかりと描いているという点で、アメリカにとっても必要な作品だと思います」「多くの人に響く作品になると思います。ロサンゼルスでもきっと多くの人の心に響くはずです」など、熱く本作を語る様子が見られた。
N.Y.「喜久雄ほどの、ある種狂気じみた覚悟は自分にはありません」
そして、一行はロサンゼルスから約3,900kmアメリカ大陸を横断し、ニューヨークに到着。現地時間11月22日(土)、ニューヨークの多くの映画好きに愛される、歴史ある劇場・Angelika Film Centerでは先行限定劇場公開中。
熱気に満ちた会場で上映がスタートした後、上映が終わると会場からは大拍手と歓声に包まれ、その中を吉沢と李監督が舞台挨拶に登壇した。
司会者から「吉沢さんのこの映画でのパフォーマンスは本当に素晴らしいですね。これまでに経験したことのある中で、最も大変な挑戦でしたか?」と質問され、ゼロから始め1年半費やした歌舞伎の稽古の話をすると、会場からは「1年半…」とのため息が。また、「今回歌舞伎役者を演じ、彼らのアイデンティティや他の誰かになって演じること、また常に自分自身であり続けることの間で意識したこと」について問われると、「僕自身はオンオフがはっきりしていると思いますが、喜久雄は日常と舞台の境界線がどんどんなくなってしまう役だと思います。舞台に立てば立つほど、日常の幸せが舞台に吸い取られてしまうイメージで演じていました。喜久雄ほどの、ある種狂気じみた覚悟は自分にはありません」と吐露。
「ただ歌舞伎役者さんも我々のような役者も、芝居をしているときにしか感じられない幸せの瞬間というのは非常にわかります。結局、芝居しているときが一番生きている実感があり、そういう部分は理解できるなと思いながら演じていました」と話した。
また司会からは、「この映画は、喜久雄というキャラクターに対して曖昧な態度を保っています。彼を神聖化したり、悪魔化したりせず、彼の感情や行動を裁きません。そして彼は、最後まで少し捉えどころのない、神秘的なままでいます。喜久雄を少し捉えどころのないままにしておいたのは、なぜですか?」と日本ではあまり聞かれない質問が。李監督は「自分の人生を顧みることより、芸術に進んでいく、その中にめり込んでいく。そちらのほうを選択せざるを得ない、そういった業みたいなものが、表現者として、のしかかっていると思います。だからこそ、喜久雄にしか、彼のような人間にしか到達できない境地というものがあり、彼を通して観客である我々は何かを見せてもらっている。それが、芸術家の意義のような、何か業を背負って生きる人の苦難ではないかと想像しました」と答え、会場の観客は熱心に耳を傾けていた。
「年齢を重ねるほど、日常生活にその女形が染み付いてくる」翌11月23日(日)にはジャパン・ソサエティー・ニューヨークにて『国宝』が上映。ジャパン・ソサエティ―・ニューヨークは創設から115年の歴史を誇る、日米交流を促進する民間非営利団体で、草間彌生、オノ・ヨーコ、チームラボをはじめ、多くの日本の美術・文化を支援してきた団体。
14時からの上映後舞台挨拶で登壇した吉沢は「『国宝』は喜久雄の50年に渡る物語で、若い時代から高齢期まで演じました。歳月を重ねる中で喜久雄を変化させていくというのはどのような感覚でしたか?」と問われ、「年齢を重ねれば、重ねるほど、日常生活にその女形が染み付いてくる、例えば姿勢や話し方、目線の動かし方という部分に、普段からその女形としての生き方が出てしまうということを意識しながら演じました」と答えた。
「最も難しかった、あるいは最も誇りに思っているシーンはありますか?」と聞かれると、「困難ではないシーンはないので(笑)」と答え、会場の観客の笑いを誘うひと幕も。「喜久雄としてお初を演じたり、踊ったりすることが一番難しく、最初に李監督からその演出を受けたとき、何を言っているのかわからなかった」と言いながらも、「実際の歌舞伎役者さんに比べて非常に感情的になる部分も多いですし、様式美として見せるところをあえてエモーショナルなお芝居で演じる部分は特にドラマチックになっていて、作品を観て李監督が言っていることが分かったと同時に、歌舞伎役者さんではなく、我々のような役者が選ばれた意味が分かりました」と胸の内を明かした。
李監督へは、米国アカデミー賞国際長編映画賞日本代表に選ばれ、日本でも大ヒットし、社会現象にもなっていることを問われると、「非常にたくさんの方が映画館に来てくださり、何度も観てくださる方がいらっしゃいます。3時間の映画で歌舞伎を題材にして、まさかこういう風に広がっていくとはなかなか予想していませんでした」と話す。「映画館には時間を忘れさせてくれる没入感があり、この美しさ、それと歌舞伎を演じる俳優、それはアーティストであり、芸術を突き詰める人間の生き方みたいなものを劇場で浴びてくれているのかなと思います。またその浴びたものが何なのかを確認したくて、何度も劇場に行ってくださっているような気がします」と日本での記録的大ヒットを分析した。
19時からの上映会では上映前舞台挨拶を実施。この回も満席の中、司会者より「ジャパン・ソサエティには6月から毎日のようにEメールや電話、そしてウエルカムデスクに来て、『国宝』を上映してほしい、と多くの問い合わせがあります。ここまで関心が高まったことを見たことがありません。スペシャルゲストお二人に登壇していただきますが、ニューヨーク流の盛大な歓迎をしましょう!」と観客全員がスタンディングオベーションで吉沢、李監督を迎えた。李監督は「約25年前に学生時代の卒業制作で作った作品(『青~chong~』)が日本代表になり、NYUの学生映画祭に参加した時に初めてニューヨークを訪れました。そして、今回アカデミー賞国際長編映画賞日本代表の作品という形で、またこの地に戻ることができたことを喜び、また同時に興奮と責任を感じています」と万感の思いのよう。
吉沢は、「20歳くらいの時にニューヨークに来て以来大好きになり、そこからほぼ毎年1回は訪れています。今回初めて仕事で呼んでいただき、またニューヨークの皆様と直接お会いできて、こうして僕らの映画が届けられることを非常に嬉しく思っています。最後まで楽しんでください」と締めくくり、感謝を伝えていた。
『国宝』は全国にて公開中。












