まもなく東日本大震災から1年が経とうとしている。ひとくちに1年、といってしまえば簡単だ。「もう1年」なのか「まだ1年」なのか…。われわれNewsCafe編集部は2月26日、宮城県石巻市へ向かった。
震災から半年が経った9月にもここを訪れている。高速道路を降り、市街地を走り石巻漁港へ向かった。想像していたよりもずっと「都会の日常」だった。道路沿いには大型店舗が並び、郊外の大きな町となんら風景は変わらない、そう思っていた。しかし、トンネルを抜けると景色が一変する。信号機は錆びてぶら下がり、辺りは冠水。静かな漁港には鼻をつく魚の腐敗臭、群がる鳥。津波の被害を受けた建物から剥がれたトタンが「ギー、ギー」「バタン、バタン」と風に煽られ、人気のない静かな漁港で鳴り響いている。比較的きれいな、新築と思われる家が多く並ぶ辺りは、どれも1階部分が津波でやられている。
ある程度覚悟していたとはいえ、初めてみた現実に言葉を失った。一歩踏み出すとこんなにも景色が違うのか、と。
それから半年経った今、どう変化しているか。地元の声をどれだけ届けられるか。それが今回の取材目的だった。
仙台駅を降り、石巻漁港へ。半年前とは違うルートで向かった。商店街を通り、活気づいた町並みにほっとした。よく見ると傾いている電柱もあるが、ぱっと見た感じではだいぶ元気になっている。
しかし安心したのもつかの間、焼け焦げた校舎が見えた。車を止めて歩いてみる。
ここは門脇小学校。震災時に南浜町・門脇町の住民の多くが、自動車で避難してきたという。そこに津波が押し寄せてきて、校庭に駐車していた自動車を校舎に打ち寄せ、その衝撃で発火、校舎に引火したものらしい。3階建ての校舎には生々しい焼け跡。あの日のまま時間が止まっている。校庭に手向けられていた花に手を合わせた。
そして石巻漁港は、錆びてぶら下がっていた信号が新しいものになり、交通量が多少増えた以外はなんら変わらない。瓦礫の集積所はさらに高く詰まれ、30mは超えているという。岩手、宮城、福島3県の沿岸市町村で発生した瓦礫の処分は、2月20日段階で2252万8000トン中117万6000トン――わずか5%しか完了していない。とくに石巻市の集積所は瓦礫の量が650万トンと、被災地の中でも突出した量を抱えている。市の一般ゴミ106年分の量だという。
前日に降った雪がかかっているせいか、ショックは和らいで見えたが、この膨大な量の瓦礫をどう処分するのか。粉塵が近隣住民の健康リスクに影響を与えているともいう。この瓦礫は被ばくしていない、それでも自治体の受け入れは難航している。この現実は、多くの人に知ってもらいたい。
そして、石巻市市街で家族連れを中心に話を聞くことができた。
「正直、毎月の黙祷も忘れてしまうくらいにあっという間なんです」と2人の幼い子を持つ30代のお母さん。「家族が流された人に比べれば私たちはまだ良いほう。内陸と海側では被害が全然違う。内陸の人間もボランティアなどで協力できれば」と話してくれた。被害の大小はあれど、必死に生きてきたことには変わらない。「子ども達を守りたい」――母は強し、そう印象付けられた。
[取材・文]佐藤いづみ
《NewsCafe》
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