
こんにちは。神奈川県在住、フリーライターの小林真由美です。いつもの連載コラムでは、「認知症の義母の日常」(介護体験記)をお届けしていますが、今回は父がすい臓がんのため亡くなってから半年が過ぎ、急に訪れた喪失感などについてお話ししたいと思います。
【アラフィフライターの介護体験記】#33
▶間に合わなかった「最期の別れ」「今週はお風呂に入れそうだよ」と言った父。でも、その別れは予想以上に早かった。

「すい臓がんで余命3ヶ月」その言葉を医師から聞いた約5ヶ月後、父はこの世を去りました。2023年7月のある朝、私の元に入った1本の電話。相手は2週間ほど前に入居したホスピス(※1)の看護師さんで、「意識レベルが低下しているので、すぐに来てほしい」という内容でした。
(※1)人生の最期を穏やかに過ごすために、さまざまな苦痛を和らげるための治療・ケアを行う施設。
数日前に医師から「お別れの日は、そう遠くないでしょう」と言われていたこともあり、ある程度の覚悟はできていた(はずだった)。でも、前日まで多少衰弱しながらも意識ははっきりし、テレビを観たり会話もできていた父。その前の週は体調がすぐれずにお風呂をキャンセルしたけれど、「今週は入れそうだよ」と言った父。そんなふうに、まだしっかりと「生」を感じていた私は、目の前の事態をすぐに受け入れることができませんでした。
ところが母や夫とホスピスに到着すると、私の感情に少しずつ変化が訪れます。残念ながら父はすでに息を引き取っていましたが、その表情はとても優しく穏やかで、私の知っている父そのもの。その様子から、おそらく最期まで痛みはなく、苦しまずに亡くなったことが理解できました。
さらに看護師さんから伝えられたのは、父が数時間前に自らナースコールを押し、トイレのサポートと水分補給を求めたこと。それを聞いたとき、「最期まで自分の意志で動けたなんて、すごい……」と誇らしくも感じたのです。
▶悲しみより先に押し寄せた「意外な感情」父を看取ったあと、悲しみより先に押し寄せた意外な感情

目の前では母が大粒の涙を流しながら、「ありがとう」「よくがんばったね」と父に語りかけ、いつもは冷静な夫も、目を真っ赤にして泣いている。もちろん、私も悲しい、寂しいといった気持ちはありました。「もっと早く来たら、最期に話ができたのに」「昨日は帰らず父の傍にいれば」といった後悔も。
でもそれ以上にあったのは、「痛みがなくてよかった」という安堵と、駆けつけてくれたホスピスの皆さんや医師の温かい言葉に対して抱いた「ここが最期の場所でよかった」という感謝の気持ち。また、約5ヶ月という短い期間でありながら、どこかで「父の看護をやり切った」という思いがあったのかもしれません。
そこからの半年間は、慌ただしい日々が続きます。役所や銀行、保険会社などへの必要な手続きや名義変更、実家に弔問に来られた方への対応などに追われながら、気付けば時間が過ぎていきました。
「遺族はやるべきことが多くて、忙しい。でもそのおかげで、悲しみに囚われず過ごすことができる」とは聞いていたけれど、今がその状態なのだろうか? 確かに月命日ともなれば、父がいない現実を感じて突然寂しくなることはあった。でも、「涙が止まらず、感情が抑えきれないほど辛い」といったことは一度もなかったのです。
おそらく、そんなふうに過ごすことができたのは身近な家族や友人、父が亡くなったあとも話を聞いてくれたホスピスの皆さんや、緩和ケア認定看護師さん(※2)の存在があってこそ。今振り返っても、ありがたい気持ちでいっぱいです。
(※2)日本看護協会の認定を受け、緩和ケア分野における熟練した看護技術と知識を持つ看護師。 看護師として5年以上の実務経験と、認定看護分野における3年以上の経験が必要。
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