いつかは手にしたい!世界一高級なエルメスの「バーキン」。エチケット袋に描いた「おむつが入るような」バッグが、誕生のきっかけだった⁉ | NewsCafe

いつかは手にしたい!世界一高級なエルメスの「バーキン」。エチケット袋に描いた「おむつが入るような」バッグが、誕生のきっかけだった⁉

女性 OTONA_SALONE/LIFESTYLE
いつかは手にしたい!世界一高級なエルメスの「バーキン」。エチケット袋に描いた「おむつが入るような」バッグが、誕生のきっかけだった⁉

世界一高級なバッグとして知られるエルメスの「バーキン」。いまやお金があったとしても簡単には手に入らない幻バッグとなり、「エルパト(エルメスパトロール)」を頻繁にしている購入希望者も多いのだとか。そんな「バーキン」の誕生のきっかけが、機内で荷物がはみ出したジェーン・バーキンと、隣に座ったエルメスのジャン・ルイ・デュマ社長の偶然の出会いによるものだということは、意外と知らない人も多いのではないでしょうか。

パリに20年以上暮らし、ジェーン・バーキンやフランソワ・サガン、シャルロット・ゲンズブールなどパリファッション界の伝説たちと交流を重ねてきた村上香住子氏が、セレブたちの素顔やエピソードを「AtoZ」のキーワードで綴る「凛とした心」をまとうためのエッセンス集。

本記事では、その著書の中から、「フランスならではのおしゃれの鉄則」をご紹介します。

※本記事は書籍『おしゃれなマナー AtoZ パリで暮らして知ったミューズたちの素顔』(村上香住子:著/ CEメディアハウス)から一部抜粋・編集したものです

birkin【バーキン】――古いものにこそ価値がある

ひとつのものが、大ブームを引き起こすかどうかというのは、やはりタイミングがその時代の流れにリンクしているかどうかに、かかっているのではないでしょうか。

1980年代は、世界的にみても女性の社会進出が注目された時代でした。どんなに裕福な家庭の主婦だとしても、自宅に引きこもっているよりは、職業をもって外で働きたいという人たちが大半でした。

世界的高級ブランドの老舗「エルメス」から、ファッションアイコンだったジェーン・バーキン好みのバッグ「バーキン」が発売されたのは、そうした時代だったのです。既存の「ケリー」は少し硬質な印象でしたが、「バーキン」はなめらかな皮のスタイルが、多忙を極める世界のキャリア女性たちの心を掴んだのでしょう。

ロンドンへ向かうエールフランスの機内で、ジェーンのバッグから荷物がはみ出しているのを見た隣席の男性が、「もっとポケットのたくさんついたバッグにしたらどうですか?」と言ったそうです。

その人がエルメスのジャン・ルイ・デュマ社長でした。ちょうど妊娠中だったジェーンは、おむつの入るようなゆったりしたバッグを機内のエチケット袋に描いて見せたそうです。そこから世界一高級なバッグが生まれたのです。

つい最近もジェーンが10年間使っていた初代の「バーキン」が、パリのオークションに出て、日本人によって4.7億円で落札したと話題になっていました。バッグとしては、世界最高額です。買い手は元Jリーガーの選手で、引退後は高級品のリユースで成功した事業主らしいです。コレクションではなく、ただの投機の対象だとしたら少し寂しい気もします。

日本ではジェーンのイメージが、説明不足のために、間違って伝わっている場面がありました。それは2008年にTVの「SMAP×SMAP」にジェーンが出演したときに、「バーキン」を彼女が足で踏んづけたり、蹴飛ばしたりしてから、「さあ これで使えるわ」とSMAPのメンバーにそのバッグをプレゼントした場面です。それを見て、「ジェーンはなんて乱暴な人なんだ」と思われた方も多かったと思います。

フランスでは、成金主義は一般的に好まれていません。新品の高級品を持ち歩いていたら成金だと思われかねないので、彼女は使い古したバッグのように見せたかったのです。古いものを大切にするフランスならではの、おしゃれの鉄則といえるかもしれません。

ここまでの記事では、エルメス「バーキン」の誕生秘話を紹介しました。つづく関連記事では、パリ流の「愛」に対する考え方をお届けします。
つづき>>不倫したのに好感度が上がる⁉「恋愛至上主義」なパリの女性に学ぶ、泣き寝入りしない「恋の駆け引き」とは

ジェーン・バーキン(Jane Birkin)1946.12.14-2023.7.16
ロンドン生まれ。父は軍人、母は有名舞台女優ジュディ・キャンベル。当時の上流家庭の教育として寄宿舎生活を送る。1966年、60年代を象徴するカルト映画『欲望』に出演。最初の結婚は『007』などを手掛けた世界的に有名な映画音楽作曲家ジョン・バリーと。長女ケイト・バリーを授かるが、1年にも満たないうちに破局。映画『スローガン』のパリでの撮影のために渡仏し、共演者で異端のミュージシャンとして当時人気絶頂だったセルジュ・ゲンズブールと恋に落ちてパリに住み始める。ふたりの間にシャルロット・ゲンズブールが生まれる。その後、アラン・ドロンと共演した『太陽が知っている』『ナイル殺人事件』『美しき諍い女』など多数の作品に出演。セルジュと歌った「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」はワールドヒットになったものの、そのスキャンダラスな内容にローマ法王の不興を買った。3人目の夫、映画監督のジャック・ドワイヨンとの間に1982年、ルー・ドワイヨンが生まれる。2012年、東日本大震災の被災地・南三陸支援のために著者が立ち上げた「アマ・プロジェクト」を援助した。2023年、パリの自宅で他界。

著者:村上香住子(ムラカミ・カスミコ)
翻訳家、エッセイスト。 1985年にマガジンハウス社からの依頼を受けパリ支局長として赴任し、1992年、フランス最大の新聞社フィガロの中にあるパリ支局に移る。20年間のパリでのジャーナリストとしての活動後、2005年夏に帰国。ジェーン・バーキンやその家族とは40年にわたる親交をかさねている。


《OTONA SALONE》

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