
人にどう見られているかが気になり、褒められるかどうかで気分が上下する――そんな自分に疲れてしまった経験はありませんか?
エッセイスト・一田憲子氏は、自身も「褒められたい」という思いに縛られてきた経験から、自身の承認欲求と向き合うことの大切さを語っています。
本記事では、一田氏の著書から、褒められなくても心穏やかに生きるための視点と、そのヒントをご紹介します。
※本記事は書籍『褒められなくても、生きられるようになりましょう』(一田憲子:著/主婦の友社)から一部抜粋・編集したものです
「私を見つけてほしい」から「誰かを見つけたい」へ
私は大勢のパーティーに出かけるのが苦手です。初めての人だらけの中で、どう振る舞ったらいいのか、その立ち位置がわからなくなってしまうから……。普段なら、仕事先でも、友達の間でも、「文章を書いている一田さん」「雑誌の編集をしている一田さん」と、私が誰であるかを知ってもらっています。そんなペルソナを誰も知らない場では、どう行動したらいいかわからなくなってしまうのです。
肩書や職業や立場がわからなくたって、素のままの自分でその場を楽しめばいいだけじゃない!とわかってはいるのだけれどなかなかできません。「何者でもない私」でいることの居心地が悪い。それは、「私はね、本を出版しているもの書きなのよ」。そんなことを言いたがっている自分がそこにいるということです。「なんてこった、私ってそんなにも自己顕示欲が強かったのか」と呆れてしまいました。
幼いころからなんでもそこそこ器用にこなし、「みんなに一目おかれる存在」であることを無意識に求めていた私。正直に告白するならば、「その他大勢」になることがイヤでした。会議に出ても、親しい仲間とお茶を飲みに行っても、「イチダさんってすごいんだよ」と言われたくなってしまう。パーティーが苦手なのも、そんな「目立ちたがり」の自分が目立てなかったからなのかもしれません。
でも……。人に認めてもらったり、褒めてもらったりしなければ、自分の存在価値を見つけられないなんて、なにかがおかしい。実はここ1〜2年、知ってる人が誰もいない集まりに出かけることに少しずつ慣れてきました。
先日、とある都道府県の特産物の審査会があり、審査員のひとりに加えていただきました。隣に座っていたのが、百貨店のバイヤーという男性です。彼が審査のポイントとして挙げたのが、「安定した供給」と「売りやすい商品かどうか」という点でした。
私がその「もの」がいいかどうか、しか見ていないときに、売り場に並ぶまでのプロセスや、「売りやすい」というニーズまで考えていらっしゃるんだなあと驚きました。日本各地のいいものをバイイングしている経験から出てきた言葉は説得力があります。そして、普段はどんな仕事の仕方をしているのか、なにを大切にしているのかなど、知りたくてたまらなくなりました。
休憩時間中、思い切って「『売りやすい』の基準って、どういうものなんですか?」と質問してみました。そこから会話が弾み、気がつけば知らない人だらけのその会合が、なんだか楽しくなってきました。
そっか……。私は「自分が何者か」を見つけてほしいと思っていたけれど、誰かを「見つける」モードになれば、こんな「初めての場」でも楽しめるんだ!とわかってきました。「褒められる」ことを求めるのではなく、その場にいる人の「すごいところ」を発見し、「褒める」側へ回れば、「褒められなくても平気」になれるのです。
「マウントを取る」というのは、自分のことを他人に認めさせるという行為です。会話をしながら「私のほうがあなたより上よ」と相手にわからせる……。以前の私は、完全にこのパターンでした。でも、どんなに自分を誇示し、「へ〜、すごいですねえ」と相手に言わせて小さな満足を味わったところで、その時間はちっとも豊かにならないことがわかってきました。
それよりも隣に座っている人から、私が知らなかったことを引き出すほうがずっと楽しい! 長い時間をかけて、やっとそんなことを理解してからは、「初めての場」に出かけることが、そこまで苦痛ではなくなりました。
今、私がいちばん夢中になっているテニスのレッスンでは、スクール生同士、相手が何者かなんてまったく知りません。ただテニスが上手くなりたい、という思いが同じだけで、真夏の暑い日も、真冬の手がかじかむ日にも、週1回集まってボールを追い、コートを駆け回ります。これは、「自分が何者か」であるよりも、ストロークやボレー、サーブが上手くいくことのほうがずっと重要だから。
そう考えると私は、「褒められる」というたったひとつの価値でしか世界を見ていなかったんだなあとわかってきます。世の中には、自分が知らないことを知るワクワクや、できなかったことができるようになる喜びなどお楽しみがいっぱい! 「褒められる」を手放したら、世の中の見え方が多彩に変わることを知りました。

(撮影/馬場わかな)
ここまでの記事では、「褒められなくても心穏やかに生きるための視点」についてご紹介しました。つづく関連記事では、「評価に振り回されず自分の軸で生きるための考え方」をお届けします。
つづき>>【「承認欲求」との向き合い方】朝ドラ『あんぱん』から得た「褒められる」という呪縛からの解放。エッセイスト・一田憲子氏が60歳を過ぎて気づいたこと
■著者略歴:一田憲子(イチダ・ノリコ)
1964年京都府生まれ。編集者・ライター。OL、編集プロダクション勤務を経てフリーライターとして独立し、女性向け雑誌・書籍などの取材・執筆で活躍。暮らし、おしゃれ、仕事、人間関係、年齢の重ね方などについての、日常の中の揺らぎや気づきを丁寧にすくい取る文章で、幅広い共感を集める。『暮らしのおへそ』『大人になったら、着たい服』(ともに主婦と生活社)を立ち上げ、イベントも開催。『最後の答えは、きっと暮らしの中にある。』(内外出版社)、『小さなエンジンで暮らしてみたら』(大和書房)など、著書多数。自身のWebマガジン『外の音、内の香』では、さまざまなコンテンツを配信。ライター塾を主宰し、「書く暮らし」の楽しみを伝えている。




