母親になって4年、「現実を突きつけられた…」。好きを仕事にしていた35歳女性が、泣く泣く専業主婦になった理由 | NewsCafe

母親になって4年、「現実を突きつけられた…」。好きを仕事にしていた35歳女性が、泣く泣く専業主婦になった理由

女性 OTONA_SALONE/LIFESTYLE
母親になって4年、「現実を突きつけられた…」。好きを仕事にしていた35歳女性が、泣く泣く専業主婦になった理由

日々が飛ぶように過ぎていくなか、自分のあり方に漠然と迷う40代50代。まるでトンネルのなかにいるような五里霧中ですが、そんななか「ほんのちょっとしたトライ」で自分のあり方を捉えなおすには、「最初の一歩」に何をしてみればいいのでしょうか。

オトナサローネ読者にインタビューを行い、リアルな女性の人生をお届けする本シリーズ。今回はアメリカ留学で映像制作を学んだ濱嶋仁美さんが、結婚・出産後にぶち当たった壁についてお届けします。

◾️濱嶋仁美さん
兵庫県神戸市在住の43歳、45歳の夫、12歳の長男と3人暮らし

【私を変える小さなトライ#46】

 

「ドラマの仕事がしたい!」とアメリカに留学して

「阪神・淡路大震災」が発生した1995年、神戸在住の濱嶋仁美さんは小学校6年生でした。家は半壊し、避難生活を送る日々。気持ちが落ち込みがちな暮らしの中で、彼女の心を励ましてくれたのはテレビドラマでした。

中学生のときに夢中になったのは『ビバリーヒルズ高校白書』や『フルハウス』。アメリカのドラマで、夜中の時間帯に再放送されたものを見て胸をときめかせていました。

そんな仁美さんは、次第にアメリカへの憧れを強くしていきます。高校卒業後は映像を学ぶため、アメリカの短大に進学しました。

「実家は新しい家のローンで金銭的に余裕がなく、親からは留学を反対されました。でもアルバイトを2つ掛け持ちし、100万円を貯め、無事に留学することができました」。

仁美さんが通ったのは、ハリウッドにもほど近い、ロサンゼルス・シティ・カレッジ(LACC)。2年制の公立コミュニティカレッジです。大学在学中のアルバイトも含めて2年間、LAの日系テレビ制作会社でエンタメニュースのディレクターを務めました。
「当時から日米を行き来していた俳優の渡辺謙さん、真田広之さんをはじめサッカーのデビッド・ベッカム選手、アニメーション監督の細田守さん、ハリウッドのクエンティン・タランティーノ監督、女優のルーシー・リューさんなど錚々たる方々に、番組ディレクターとしてインタビューすることができました」

海外ニュース番組のディレクターを経験するも、「ドラマの仕事」には巡り会えず……

その後、「ビザを取得しよう」と4年制大学に編入し、26歳でアメリカの大学を卒業。「将来、日本で仕事をするならば、一度は日本で働いた方が有利だ」と思って、帰国してフリーランスとして働き始めました。27歳のときには日本テレビのニュース番組で特集ディレクターとして仕事をしますが、希望しているドラマの現場にはなかなか携われないという現実に直面します。

2011年、東日本大震災が起きた際には、派遣社員として日本テレビの海外ニュース部署に所属。災害や戦争、オリンピックなどの国際ニュースを扱う仕事をしていました。

「ストーリーを作る時間もない毎日でしたが、ドラマに携わりたい一心で、なんとか脚本を書いてコンクールに出していました。でも結果にはつながらなくて……」

そんな中、プライベートでは結婚・出産という人生の一大イベントを迎えます。マッチングアプリで出会ったITエンジニアの男性と結婚し、31歳で第一子を授かりました。

「当時は東京に住んでいましたが、待機児童は50人待ち。空いている保育所は月額20万円という絶望的な金額で……」。夫の転職を機にUターンし、神戸へ引っ越すことを決断。移住後、子どもは無事に保育園へ入園することができました。

「成長が遅い」と言われて、4歳で発達障害と診断された長男

移住後は、神戸観光局の中にある、「フィルムコミッション」で朝9時から夕方4時まで働き始めました。フィルム・コミッションとは映像制作者に対して、ロケーションなどの支援を行う機関のこと。
撮影現場を知る仁美さんにとっては、ぴったりの仕事です。大好きな神戸で映像に関わることができ、一石二鳥でした。

慌ただしい毎日を過ごしていたある日、保育園の先生から「成長が遅いのではないか」と長男の発達について指摘を受けます。晴天の霹靂でした。
「少し言葉は遅いかもと思っていましたが、初めての子どもだったので“こんなものなのかな”と分からなくて……。保育園で友達に構われたときに仕返しをしてしまい、『ごめんね』という言葉が出てこなかったそうなんです」

いくら「お友達を叩いちゃダメでしょ」と叱っても、息子は泣くだけで「ごめんね」とは言えない。「ああ、本当に自分の思いを言葉にできないんだ……と現実を突きつけられました」
と仁美さん。

専門医の診察を受けると、診断は「自閉スペクトラム症」と「中度の知的障害」でした。受け止めきれない現実に心が追いつかず、息をすることすら苦しく感じられました。「私が悪かったのか」と自分を責める思いと「この子を守らなきゃ」という焦りが胸の中でごっちゃになり、眠れない日々が続きました。

でも、いつまでもクヨクヨしてもいられません。発達に課題を抱える子どもたちが自分らしく成長するために専門的な教育(療育)を行う、児童発達支援施設への通所を決めます。「長男と向き合おう」と決断し、4歳になったタイミングで仕事を辞め、2年間は専業主婦として長男の送り迎え、食事の準備などをしっかりやることにしました。その後、長男は特別支援学校に入学しました。

息子の特別支援学校の入学式にて

つづき▶▶関連記事障がい者の母親を待ちうける「18歳の壁」。39歳女性、悩みながら叶えた「夢の職業」とはではフルタイムの仕事を諦めた仁美さんが、障害児を抱えながら、念願の映像作品を制作したお話をお届けします。

あなたの「小さなトライとその気づき」もぜひ教えてください。

白髪染めをやめた。矯正を始めた。ドライヤーを買い替えた。骨密度検査をした。習字を始めた。寝る前にストレッチを続けている。資格を再取得した。ママ友と温泉旅行に行った。2やせた。子どもとオンライン英会話を続けている。断捨離した。終活してる。離婚を決意した……などなど、どんな小さなことでも大丈夫です!


《OTONA SALONE》

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