
こんにちは、スタイリストの大日方です。普段はただひたすらに「服が好き!」という目線でトレンドやおすすめをリコメンドしています。今回は2025年11月末にわかった乳がんの話。
【RICOリコメンズ/働く女性のコーデ】後編
手術当日、思いのほかリラックスできていた。終わってからも元気だったが

点滴の針がなかなか入らなくて大変でした…
入院2日目が手術でした。私はその日2番目の手術で11時半に手術室に移動する予定でした。早めに呼ばれることもあるので手術着に着替えて7時過ぎに点滴の用意が始まりました。
血管が細くてなかなか針が刺さらず、3箇所目でやっと点滴が入りました。ベッドでうとうとしていると、1時間半も早く手術室に呼ばれました。手術室へは徒歩で移動。細胞診の際に看護師さんたちのプロフェッショナルな姿に感動していたので、緊張することなく安心してお任せできました。「眠くなるお薬が入ります」という声が聞こえたと同時に麻酔で意識がなくなりました。
「終わりましたよ」と声をかけられると光が眩しくて、良く寝た後の爽快感がありました。「リンパには飛んでいましたか?」「もうひとつの影ががんだったかいつわかりますか?」気になっていたことを質問すると、リンパに転移はなかったのでリンパは摘出しなかった、もうひとつの影の検査結果は1ヶ月後にわかるとのことでした。
ベッドに寝たまま部屋まで戻って来ると予定より2時間も早くて、まだ12時でした。麻酔が切れると気持ち悪くなったり、寒く感じたりすることがあるらしいのですが、私は不快症状はありませんでした。
そこからしばらくは興奮状態だったと思います。じっとしていなくてはいけないのに目が冴えていて、看護婦さんにヘッドフォンを装着してもらいラジオを聴いていました。家族に手術が無事に終わったとメッセージを送りました。
2時間くらい経つとふっと眠くなり1時間ほど眠りました。術後3時間経つと看護婦さんが立ち上がってふらつきがないか、水を飲んでもむせないか確認してくれて、自分でトイレに行ったり、お茶を飲んだりする許可が出ました。
手術の翌日、自分の変化にやはり戸惑う。右脇からみぞおちに1本の傷のある私の身体

手術した日の午後から、左手には点滴、右脇腹からはドレーン(管)、ドレーンから出た血液やリンパ液を溜めた容器をバッグに下げて病棟内をうろうろしていました。ドレーンから出る排液はサラサラでブラッドオレンジジュースのようでした。朝ごはんと昼ごはんは抜きだったので、夜ご飯に出た煮込みハンバーグがとても美味しかったです。
痛み止めを飲んでいて傷の痛みはなかったですが、バストバンドが苦しかったです。傷口を抑えるためにマジックテープが付いた20cm幅のバンドをギチギチに巻いたまま24時間過ごすのですが、とんでもなく下手な人に振袖の着付けをしてもらったような苦しさで、夜中に何度も目が覚めました。
手術翌日の午前中にはバストバンドが外れ、点滴の針も外れ、だいぶ身軽になりました。右脇腹からはまだドレーンが出ていて、容器を入れたバッグを下げていました。
右胸に手を当てるとそこにあったはずの膨らみはもうありませんでした。手術するときに周りの神経も切っているので、触るとぼんやりとした触感がありました。手術の翌々日には手術した箇所がどんな様子なのか鏡で見てみました。右胸全摘・再建なしの手術をしたので、右脇からみぞおちの方向に15cmくらいの傷が1本あって、上から透明のテープが貼ってありました。傷は血が黒く固まり、痛々しい見た目でしたが、自分の体だから時間をかけて見慣れていくしかないと思いました。溶ける糸なので抜糸は必要ないそうです。
ドレーンからの排液量が1日50ml以下がドレーンを抜く目安とされて、ドレーンを抜いた翌日には退院可能になると言われていました。手術後4日で排液量が20mlまで減りましたが、まだ退院には早いのでドレーンを抜くのは1日待ってからになりました。
手術後5日目にドレーンを抜きました。「長いのが出てきますよ」と先生が言ったので、7〜8cmくらいを想像していたら、30〜40cmあったんじゃないかな? 管がいつまでも続いていたのでびっくりしました。ドレーンを抜くと全身シャワーが可能になりました。
娘が家を出たあとのことを考えて泣いてしまった。一人でいるより、仕事に戻ろう
入院から1週間、手術から6日での退院となりました。帰宅すると「今夜は娘とごはんが食べられる!」という嬉しさが込み上げてきました。そして、娘が成長して家を出たら一緒にごはんが食べられなくなると思うとぼろぼろ涙が出ました。情緒不安定だなとは思いましたが、手術をした後だから仕方ないだろうとも思いました。
退院後1ヶ月は衝突で傷が開いてしまうリスクが高いので自転車は禁止。ハードな筋トレ禁止。重たいものを持つのは禁止。かといって全く動かないのも良くないので家事をするなど適度に動いてください、とのことでした。
先生に退院後は仕事していいか尋ねたら、重たいものを運ぶなどハードな仕事でなければ再開OKとのことでした。1人でいるとうじうじしてしまいそうな予感がして、退院した翌週から少しずつお仕事を再開しました。マネージャーさんには1ヶ月休む予定を組んでもらい、延長も可能と言ってもらっていたのですが、結局休んだのは12日間でした。

ありがたかったのは手術直後から傷が痛くなかったことです。入院中は1日3回看護師さんが来て体温と血圧のチェック、10段階でどのくらい痛いか質問されるのですが、手術した日から「痛くないです」と答えていました。
入院中は処方された痛み止めを飲んでいましたが、退院する際に処方された痛み止めは、痛くなかったら減らしていいと言われ、1錠で飲むのを辞めてしまいました。胸を切ったのに痛くないなんて不思議ですが、手術の際に周りの神経を切っているので痛くなかったのだと思います。
今も右胸があった場所を触ると、まるで布団の上から触れているようなぼんやりとした感覚しかありません。感覚は少しずつ戻るそうですが、元の状態には戻らないそうです。不便を感じるのは、手術した側の手を限界まで伸ばすと傷が吊れて痛いことくらいでしょうか。車の運転席から駐車券を取るときと、台所で上のものを取るときは気を付けています。
退院直後に家族が風邪に! 入院前後は家族にも感染症予防を徹底してもらう必要が

想定外だったのは、退院後に家族が次々と風邪でダウンしたことでした。さいごは私も風邪をもらってしまいました。「病人は私のはずなのに!」と恨み節を吐いてももう手遅れ、軽症だった私が家事をするハメに。溺れそうなほど鼻水が出て、頭痛に襲われ発熱、少し咳も出ました。咳をすると傷跡がパーンと開いてしまうんじゃないかと気が気ではなかったです。
家族は運命共同体なので、入院前後は家族にも手洗い・うがいを徹底してもらい、風邪をひかないように気を付けましょう。手術と風邪を乗り越えて、レディ・ガガのライブを観に行くことが出来たときは本当に嬉しかったです。
Hello!New me! 以前とは「世界の見え方」がまるごと変わった
日を追うにつれて傷は癒えて行きましたが、私は右胸のホラー映画みたいにグロい傷痕が好きになれずにいました。右胸の膨らみはなく、脇からみぞおちの方向に入った15cmくらいの傷は不規則に曲がっていて、ザクザクと上下が縫い合わせてあります。ブラジャーをすれば傷はほぼ隠れるのでパッドを追加すれば見た目にはわからないのですが、服を脱いで自分の姿を見るたびに「うーん」と思いました。
いつか見慣れる日がくるのかな? 再建するべきだったかな? と。でもある日、『ぐりとぐら』作者で保育園の園長をしていた中川李枝子さんのエッセイ『子どもはみんな問題児。』の一節を思い出しました。
子どもの「お母さん自慢」には限りがありません。何でも自慢のタネなのです。「わたし、帝王切開で生まれたの」って、それだって立派な自慢です。するとそれを聞いた子が「うちのママは盲腸切ってる」と自慢する。もっとすごいというわけです。
娘が保育園に通っていた頃に「原付バイクでタクシーとぶつかって前歯が折れた話」を何度もせがまれました。私にとって事故は嫌な思い出ですが、きっと娘にとって私は「バイクでタクシーと事故って前歯が折れた自慢のお母さん」だったのだと思います。それならば、右胸の手術痕だって自慢にしてしまえばいいと思いました。好きになれなくたって、自慢の傷なんだと思えば目にするのが苦痛ではなくなりました。右胸の全摘が決まってから心の置き所がわからずにいたけれど、これが自分らしい選択だと思いました。
手術で摘出した右胸はMRIに写っていたよりも広範囲にがんが広がっていました。別々に見えていた内側と外側の影は、実は大きなひとつのがんのかたまりで、胸全体に乳がんが広がっていたのです。手術前はステージ0と言われていましたが検査の結果、乳管から周りの細胞に浸潤しているステージ1の乳がんだったことがわかりました。再発を防ぐため、これから最低でも5年は毎日タモキシフェンというホルモン療法の薬を飲むことになります。
去年ひとり旅に行って「自分の普通や当たり前が普通でも当たり前でもない世界に身を置くと、同じところに帰ってきても、前とは見えるものが変わる」と感じたのですが、乳がんになって同じようなことを感じました。
手術前と同じように生活ができて、仕事が出来て、それが本当にありがたくて幸せなことだと感じます。人生は地続きに続いているのに、1度人生をリセットして0からスタートを切ったような気持ちです。
以前は今日はこれが上手くできなかった、何であんなこと言っちゃたんだろう、と小さなことでくよくよと自分を責めていました。病気を通じて、自分は1人しかいなくて自分にとって替えの効かない存在だとやっと理解できたのかもしれません。
今は完璧とは程遠い自分を認められるようになって、自分に優しくなったと思います。今日はよく頑張った! ありがたい! そんなふうに思いながら毎日を送っています。
つづき>>>「残念ながら乳がんです」40代人気スタイリストが告知を受けてから約3カ月。流した涙は「悲しみ」ではなく「怒り」でもなく
最後に、これから向き合う皆さんに。「持って行ってよかった入院グッズ」です
- 2mの延長コード
入院経験のある友人から教えてもらいました。1mじゃなくて2mの延長コードがいいよ、とのこと。おかげで快適に過ごすことができました。
- カーディガン
パジャマは病院のものをレンタルしましたが、ゆったりとしたカーディガンを着るとドレーンから出た血液や体液を溜めるバッグを隠せて良かったです。私はパジャマの上にカーディガン、下はレギンスで病院内のコンビニに行っていました。
- リカバリーウェア
傷の回復にはやはり血液の巡りが重要なのではと考えて、入院用にリカバリーウェア(一般医療機器)のレギンスを3枚買い足しました。上は診察のために前開きのものしか着られませんが、下は何を着ていてもOKだったので入院中は24時間レギンスを着用。リカバリーウェアのおかげかは不明ですが、術後の回復が良く、予定より早く退院できました。
- トイレのにおい対策
大部屋だったので、トイレも共同でした。換気はされていますが、大をするとやっぱり申し訳ない気持ちになるもの。トイレにポトッと垂らすだけで爽やかな香りになる「1滴消臭元」は持って行って良かったです。
- 乾燥対策
病院内は全館空調されていて、空気が乾燥しています。電気機器の持ち込みNGと書かれていましたが、ペットボトルに挿して使うミニ加湿器は問題ありませんでした。戸が開けっ放しなので焼け石に水ですが、できるだけ顔の近くで加湿していました。濡れマスクもおすすめ。
- スルッと履けるスニーカー
転倒防止のためサンダルやスリッパがNGの病院も。手を使わずにスルッと履けるスニーカーがあると便利。
- アイマスク
部屋を暗くして寝ている人はあったほうが良いと思います。消灯後も廊下の明かりが眩しくて気になりました。
- ふりかけ
病院のご飯はとても美味しかったです。ご飯が一口余ってしまったときにふりかけがあるとちょっと嬉しい。私はカレー味のふりかけとちりめん山椒を持っていきました。ずんだあんの素でごはんをデザート風にアレンジして食べるのも楽しかったです。入院中はエンタメが少ないので、楽しみに何種類か持っていくと◎。
- 温めグッズ
術後はストレッチや肩をまわすような動きは出来ないので、肩の凝りを感じました。肩が重く感じたときは充電式カイロで首の後ろを温めて過ごしました。充電式でなくても、使い捨てカイロを何個か荷物に忍ばせておくと良いと思います!
- 蓋付きのコップ
友人がお見舞いにと贈ってくれた保温・保冷機能付きの蓋をしたまま飲めるコップがとても便利でした。面会室にお湯の出るウォーターサーバーがあり、お茶を飲むのが入院中の楽しみのひとつに。お茶は気分に合わせて飲めるようにいろんな種類を持っていきました。普段はあまり飲まないですが、入院中は砂糖が入った顆粒タイプのお茶が美味しく感じました。




