元TBSアナウンサーのアンヌ遙香がニッチな眼差しで映画と女の生き様をああだこうだ考え、“今思うこと”を綴る連載です。ほんのりマニアックな視点と語りをどうぞお楽しみに!
【アンヌ遙香、「映画と女」を語る #13】
間違いなく、ここ数年内の傑作。でも、生半可な気持ちなら観ないで。
私の中で、ここ数年観てきた映画のうちでも一番の傑作と評してもよいほどの作品。でも、でも、決して生半可な気持ちでは観られない一本。みんなに勧めたい、けれど勧められない。それが『ガール・ウィズ・ニードル』。
実は、映画館で拝見した際、これはとんでもないものを観はじめてしまったと後悔にも似た気持ちに襲われました。とにかく苦しい、痛い、ひどい。人間が起こしうる最も恐ろしい罪といってもいい、ある残酷な場面をまざまざと見せつけられ、その場から立ち上がって逃げ出したくなったほど。
でも、でも、最後のあのシーンを見るためだけに、もう一度観たくなる、目を背けたいけど絶対にまた観たい、そんな作品。ただ、中途半端に、「観てみようかな」くらいの気持ちならむしろ観ないでください。あなたが傷つきます。すべての痛みを受け取る覚悟があるなら、観てください。
衝撃作『ガールウィズニードル』とは

『ガール・ウィズ・ニードル』 絶賛公開中 © NORDISK FILM PRODUCTION / LAVA FILMS / NORDISK FILM PRODUCTION SVERIGE 2024
舞台は第一次世界大戦後のコペンハーゲン。お針子として縫製工場で働くカロリーネは、戦争にとられた夫の行方もわからず、家賃も払えず、住んでいる部屋から追い出されることに。
苦しい日々の中、その境遇に手を差し伸べてくれたハンサムで上品な工場長と恋に落ちます。絶望しかなかった日々に差し込んできた、一筋の光。愛する人を得て彼女の日常は初めて輝きはじめます。そんな中、行方不明だと思っていた夫が戦地から帰ってきます。
私は新しい人生を歩み始めている!しかもおなかには新たな命まで! 私は本当に愛する人と結婚して、幸せになるんだ!と、夫を追い出し、あらたな恋人のもとへと走りますが、そもそも身分違いの関係には最初から未来などなかったのです。
彼女は捨てられた挙句に縫製工場も追い出されます。絶望した彼女は、おなかの子どもをある方法で亡きものにしようとします。その場面にたまたま居合わせ、胎児も、彼女も救ったのが、ダウマという女性でした。ぼろぼろのカロリーネに寄り添い、「赤ちゃんが生まれたらうちに連れておいで。育てられないなら親切な里親を私が見つけてあげるから」と優しく声をかけるダウマ。やがて美しい女児が生まれ、ダウマを頼り会いに行くカロリーネ。
ダウマはもぐりの養子縁組斡旋所を経営し、子どもたちの里親探しを支援していたのでした。ダウマに子どもを託したカロリーネ。そのうちカロリーネ、ダウマ、そしてその娘との共同生活が始まり、カロリーネは養子に出される前の赤ちゃんにお乳を与える役を引きうけます。不思議な強い絆が生まれていくカロリーネとダウマですが、日々ダウマのもとにやってくる赤ちゃんたちの行方についてカロリーネは疑問を持ち始めます。
やがて、彼女は知らず知らずのうちに入り込んでしまった悪夢のような真実に直面することになります。
デンマークで本当にあった、デンマーク史上最悪の殺人事件。

『ガール・ウィズ・ニードル』 絶賛公開中 © NORDISK FILM PRODUCTION / LAVA FILMS / NORDISK FILM PRODUCTION SVERIGE 2024
デンマーク史上最悪の、実際にあった連続殺人事件に着想を得た、全編モノクロの作品。冒頭から、言い知れぬ不安感をあおる、さまざまな顔のアップと不協和音。心理的恐怖を植え付けてくる一種の映像美もあいまり、数々の映画祭を席巻しています。本当の罪とは何か、怪物は誰なのか?人間の闇と光に迫る、北欧発のゴシック・ミステリーの傑作です。
針、のもつ恐ろしい痛み。女ならわかる、痛み。思わず腰を浮かせた私。

『ガール・ウィズ・ニードル』 絶賛公開中 © NORDISK FILM PRODUCTION / LAVA FILMS / NORDISK FILM PRODUCTION SVERIGE 2024
まず、『ガールウィズニードル』のニードルについて。ニードルとは「針」のことですが、とくに編み物で使う、長めの太い針をこの作品では指しています。この編み針の存在が物語の重要なフェーズとなります。いわゆるネタバレにつながってしまうリスクもあるので詳細を伏せるべきかもしれませんが、あえて触れますと、この編み針を使いカロリーナはおなかの中の子どもを亡き者にしようとするのです。このシーンが、本当に、本当に、痛い、つらい、きつい、泣きたい。
どれだけ壮絶なシーンか、どれだけの痛みがそこにあるのか、女性ではなくてもその壮絶さは想像がつくでしょうが、、、ああ、こうして書いているだけでもつらい、痛い。特に女性であれば考えられないほどの恐ろしさと筆舌に尽くしがたい痛みを想像させるあのシーン。あんなことが自分でできるのか。いや、追い詰められた女はそれをやるしかなかったのです。なんて残酷な!という言葉では済まされないのです。彼女は共同浴場で、ほかの人に気づかれないように、声を上げないようにそれをやってのけようとしたのです。
私は思わず映画館の座席で腰を浮かせ、眉根を寄せてその痛みの追体験をしてしまっているような感覚に見舞われました。モノクロながらもどす黒く床にこびりつく鮮血。
決めるのはいつも女たち。

『ガール・ウィズ・ニードル』 絶賛公開中 © NORDISK FILM PRODUCTION / LAVA FILMS / NORDISK FILM PRODUCTION SVERIGE 2024
この物語は「女の物語」といってもよいでしょう。女たちが団結し、しかしときに強く反目しながらも、どうしようもない社会の不公平を受け入れながらもそれに立ち向かっていこうとするのです。一方で、登場する男性は大まかにわけて三名。カロリーネの夫、工場長、そしてダウマの「恋人」とまでは言えないもののたまに訪れてくる男。男たちはみんな自分の意志が曖昧で、大きな決断をするのはいつも女たち。
なぜ女は妊娠するのか?みんな忘れていないか!?なぜ妊娠するのかを!
この物語の核となるキーワードは「妊娠」「出産」です。女たちが「妊娠」をするのは、特にカロリーネが妊娠をしたのは、魅力的な男性と恋に落ち、熱烈な肉体関係をむすんだからこそ。女一人で妊娠なんてできないわけです。その愛情の帰結する場所としての「妊娠」があったはずなのに、男の身勝手でその子どもをどうするか、産むのか産まないのか、育てるのか、すべての決断と対処を女たちがせざるを得ないという不都合な真実。

『ガール・ウィズ・ニードル』 絶賛公開中 © NORDISK FILM PRODUCTION / LAVA FILMS / NORDISK FILM PRODUCTION SVERIGE 2024
大きなおなかでも、死に物狂いで働かないといけないのに未来すら見えない、、、産むことすらも命がけ、なのに、すべてを女に押し付けてその場から姿を消す男たち。ダウマの裁判の場面でも、彼女を責め立てるのは男性の裁判官。でも、こんな表現するのは酷だけど「望まない子ども」がこれだけダウマのもとに集まってきたのはなぜ?思いだせ!なぜ女たちが妊娠をしたのかを!!
▶つづきの【後編】では、映画『ガール・ウィズ・ニードル』が傑作だと断言する理由についてお伝えします▶▶▶▶▶