更年期まで「女性の身体は男性に供してこそ価値のあるもの」として扱われるけど、銭湯に行くと気づくことがある | NewsCafe

更年期まで「女性の身体は男性に供してこそ価値のあるもの」として扱われるけど、銭湯に行くと気づくことがある

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更年期まで「女性の身体は男性に供してこそ価値のあるもの」として扱われるけど、銭湯に行くと気づくことがある

加齢していく自分の身体を考えるとき、私はよく銭湯の話を思い出す。誰から聞いたのか、何かで読んだのかはわからないし、内容もだいぶあいまいなのだけど、

「いまの人は、日常的に銭湯にいかない。銭湯にはいろんな世代の人がいて、年を重ねると身体がどう変化するかが、意識しなくても目に入ってくる。生身の裸を日常的に見る機会が減ったことで、加齢のイメージが描きにくくなり、それが恐れにもつながっている」

という趣旨は、さもあらんと思って、しっかり記憶している。

【私の更年期by三浦ゆえ】#3 前編

他の女性の身体を「実際に見る機会」は、とりわけ「銭湯も温泉もない土地」では限られる

富山県出身の私は、子どものころ1、2度しか銭湯に行ったことがない。同県は銭湯がとても少ないことで知られていて、大学進学を機に上京した私は、「東京って銭湯が多いな!」と新鮮に感じていた。

いまは温泉も銭湯もスパ施設も大好きな私だが、そんな背景もあって、見知らぬ人と一緒にお風呂に入ることに、だいぶ長いあいだ抵抗があった。顔はともかく、加齢していく女性の身体を、ごく自然な形で見る機会はほとんどなかった。

いまのアラフィフなら、「お笑いマンガ道場」という番組を覚えている人は少なくないはずだ。エリアによって放映時間はまちまちで、富山では土曜の昼のオンエア。親が共働きだったわが家では、土曜の昼食は父の担当で、食事をしながら2歳下の妹も加え3人でテレビを見るのが常だった。

同番組でおなじみのネタといえば、富永拓郎先生の描く老婆が、ビヨ~ンと伸びた乳房を手で掴み、ぶるんぶるんとヌンチャクのように振り回すイラスト。いまだったら「歳をとった女性の身体をデフォルメして描き、笑いの対象とするのはいかがなものか!?」と言われること必至だけど、当時は私も笑っていたのです。父と一緒なので、ちょっとの気まずさを感じながら。非力な高齢女性が痛烈に攻撃する、という意味では痛快さもあったように思う。

年をとると背が縮み、腰が曲がり、髪が薄くなったり白くなったりする。そのぐらいのイメージは、子どもでも持っている。その前に「おばさん体型」といわれるものがあることも、知るとはなしに知っていた。「中年太り」と違うのは、性的魅力が目減りしてるというニュアンスが含まれている点か。

女性の身体特有の、それも性にかかわる面での加齢イメージが、「お笑いマンガ道場」発のものだけ、というのはあまり幸運なことではない。自分もいつか笑われる身体になるのだろう、という予見が刷り込まれた。

女性の身体は「男性に供してこそ価値のあるもの」として扱われてきたな、と思います

私たちは、性的客体としての女性の身体を山ほど見ながら育つ。富永先生のはイラストだったけど、1980年代はテレビで女性のおっぱいが映し出されることがたびたびあった。いまの若者は「まさか!?」と思うだろうけど、当時も、見たくない・見せたくないと思っていた人たちは大勢いたに違いなく、それは女性だけとはかぎらない。「自分が望まないタイミングで性的なものは見たくない」と思う男性もいたと思う。

そんな人たちは「いない」ことにされ、男性は女性のヌードを見ればよろこぶものだし、男性によろこばれることが女性の価値であるという価値観が広く共有されていた。

客体としての女性たちは、年を取らない。年齢があがると、うまくすれば別のステージに移れるし、そうでなければメディアから消える。そしてまた、若い女性が投入される。

女性が性の主体であるという、ごく当たり前のことが、少なくとも20代までの私にはほとんど見えていなかった。加齢する女性の身体もイメージできなかった。

30代後半になると、自分には出産というイベントが発生しないだろうことが見えはじめ、今後の人生で外見にドラスティックな変化が起きることはなく、待っているのは加齢による変化だけなのだとわかってきた。人生100年時代というからには、いつか富永先生が描く老婆に自分もなるのだろう。

性的魅力も衰えていく。いや、もうだいぶ目減りしているのではないか。

そんなころ、浜野佐知という映画監督に出会った。

「女性は男性の欲望のために存在しているわけではない」、当たり前のことなのだけれど

浜野佐知は20歳の若さでピンク映画の世界に飛び込み、その後300本を超えるピンク作品を監督した、世にもかっこいい女性である。

なんでピンク映画? と思われるかもしれない。浜野監督が映画を撮りたいと単身で静岡県から上京してきた1960年代、大手映画会社が募集していた監督の条件は「四大卒、男性」だった。

私がはじめて観た浜野ピンクは、『やりたい人妻たち』(2003年)。夫から同意のない性交を強いられた女性が家を飛び出し、いろんな男性と出会っては、セックスする。誰とするのか、しないのか。決めるのは彼女自身。何人目かで性器自慢の男に出会い、「これでお前をイカせてやる」と言われたとき、彼女が言い放ったのはーー「イクだけなら、自分でできるのよ」。

女性の快感は男性ありきではないという、監督からのパワフルなメッセージを受け取った。ピンク映画は基本的に、男性の欲望のために制作される。その世界で半世紀近くも、主体的に性を愉しむ女性を撮ってきたのが、浜野監督という人だった。どの作品も、セクシュアリティとジェンダーのテーマが、どんっと真ん中に据えられている。

つづき>>>高齢女性ばかりのシェアハウスに、すてきな高齢独身男性が入居してきたら…60歳過ぎても「性的主体」である2人のシーンは


《OTONA SALONE》

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