*TOP画像/孫兵衛(片岡愛之助) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」8話(2月23日放送)より(C)NHK
「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、作品の背景を深掘り解説していきます。今回は江戸時代における「刑罰」について見ていきましょう。
処罰されるかどうかは「自白」がすべて
江戸時代、犯行の証拠があったとしても本人の自白なくしては処罰の対象にはなりませんでした。
「べらぼう」(NHK総合)の6話では、鱗形屋の主人・孫兵衛(片岡愛之助)が節用集の偽板を出版した容疑で訴えられ、7話では事情聴衆を受けていました。複数の男たちから暴力を振るわれ、解放される頃には自力では歩けないほどの状態になっていましたね。
史実において取り調べは残酷なほど厳しく、むち打ち、石抱、海老責が行われることもありました。犯人と疑われた場合、心身の苦痛を味わうだけでなく、命の危険にもさらされたのです。
江戸時代は犯罪者に厳しすぎる世の中
犯罪者を残虐な罰で見せしめにすることで、治安を維持していました。(といっても、犯罪件数は多い)
「べらぼう」には当時の刑罰の厳しさがうかがえる台詞が多々あります。例えば、第5話では、向こう傷の素浪人(高木勝也)が唐丸(渡邉斗翔)に、 “オレがお前のしたことを言ったらお前は死罪だし、蔦重や治郎兵衛も死罪、遠島累が及ぶだろうな”とささやくシーンがありました。
唐丸については犯した罪が分からないためなんとも言えないものの、罪を犯した者をかくまった重三郎(横浜流星)や治郎兵衛(中村蒼)も命の危険にさらされることにおどろいた視聴者もいるはずです。
どうやら、こうしたおそろし~い台詞は誇張ではないよう。実際のところ、人相書の御尋ね者を知っていて隠したり、訴え出なかったりすれば死罪に該当することもありました。
江戸時代は人権意識が乏しく、犯罪者にも容疑者にも厳しい社会でした。江戸時代に罪を犯すと、もしくは容疑をかけられると以下の刑罰の対象になりました。
〇死罪
はりつけ、斬首、火あぶり(放火犯)、切腹(武士)
*上記に加えて、みせしめのために町中をひきまわされたり、首をさらされたりした
〇遠島
大島、八丈島など
〇その他
手錠、入墨、叱責
当時において10両以上(数十万円)盗むと命はなかったといわれています。10両以下であれば入墨の刑を受けることもありました。また、不倫をした場合も死罪に該当します。
ちなみに、史実では、鱗形屋の著作権侵害事件を犯したのは孫兵衛ではありません。主犯はこの店で働く使用人。しかし、店の主人が無関係というわけにはいかず孫兵衛には罰金が科せられました。使用人については、家財没収+江戸追放の刑が科せられたといいます。
江戸時代に更生施設の設立を提案したのは「べらぼう」に登場するあの男
江戸時代において牢屋に入っている者のすべてが犯罪者というわけではありません。当時、町奉公所が疑わしい人(容疑者)を捕まえ、牢屋に入れていました。牢屋とは今でいうところの留置所に近いものです。
牢屋の環境は劣悪でした。食事は玄米に汁物と質素で、入浴は20日に1回程度。さらに、収容人数が増えれば、それぞれに与えられるスペースはわずかでした。
また、江戸時代には懲役・禁固という概念はほとんどありませんでした。この時代において刑務所のような更生施設ができたのは中期に入ってからでした。
更生施設を提案したのは、 “金持ちのぼんぼん” “カモ”などとひどい言われようの平蔵宣以(中村隼人)のモデルとなっている“鬼平”こと長谷川平蔵。老中・松平定信が彼の提案を受け入れて、石川島に人足寄場を設けました。この場所に収容された人たちは大工や髪結い、精米などの仕事に従事し、更生を目指しました。
とはいえ、人足寄場に収容されたのは無宿者や軽い罪を犯した者に限られていました。
本編では、江戸の刑罰についてお届けしました。
続いての▶▶妖麗な魅力を放つ瀬川、彼女が愛するのはたった一人の”鈍感男”。蔦重が瀬川に送った『女重宝記』の内容とは?【NHK大河『べらぼう』#8】
では、大河のストーリーを深堀りします。
参考文献
稲垣史生『江戸時代大全』ロングセラーズ 2016年
河合敦『早わかり江戸時代 ビジュアル図解でわかる時代の流れ!』日本実業出版社 2009年
河合幹雄(監修)『現代 刑務所の作法』ジー・ビー 2021年
永井義男、鈴木あつよ『江戸時代を知る、楽しむ。』Gakken 2024年