梅宮アンナ「更年期障害が始まりました」。ペットボトルが開けらない、靴ひもが結べない「情けなくなることも」 | NewsCafe

梅宮アンナ「更年期障害が始まりました」。ペットボトルが開けらない、靴ひもが結べない「情けなくなることも」

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梅宮アンナ「更年期障害が始まりました」。ペットボトルが開けらない、靴ひもが結べない「情けなくなることも」

ステージAの小葉がんを治療中の梅宮アンナさん。「病気を公表してから、アンナさんはいっそう輝きが増している」という声があちこちから聞こえてくるようになりました。

11月7日に右乳房とリンパ節の摘出を受け、11月14日に退院。12月5日には2つめの抗がん剤「パクリタキセル」での治療がスタートし、すでに5回目の投与を終えました。そんなアンナさんがいま思うこととは? 1月の気持ちを4回連続でお伝えします。

【独占連載「アンナの日々」#6】3

急に更年期障害が始まって、手指に力が入らない。ペットボトルが開けられないのです

術後約40日頃から、やっと頭と心がいっしょになってきました。この日数はみんな違うと思うよ、もっと早く気持ちを切り替えられる人もいると思うけれど、私は痛みがすさまじすぎて、心と体と頭がバラバラのままの40日でした。

手術直後の入院中は天国でしたが、1週間後の退院からが地獄。痛くて痛くて、本当に「こんなに痛くて私は大丈夫なの?」と疑問に思うくらいでした。いっそ先生に電話して確認したい、こんなに痛いのに動かしていいのかなって。いや、そもそも動かないんですよ、神経ぎりぎりを切ってそれを伸ばして縫っているから、痛いなんてものじゃなくて。

退院すると会う人ごとにおめでとうと言っていただくのですが、内心とても複雑な気持ちでした。退院すればもう元気になったと思いますよね、ところがどっこい、痛くて痛くてずっと泣いているの。まさか、あまりの痛みに毎日泣いているだなんて誰も思わないじゃないですか。これは言葉でこうして言っても伝わりません。

「おめでとう」のタイミングも人それぞれでしょうね。私にとっては現在治療中の2つ目の抗がん剤に続いて、春に放射線が始まり、それが完全に終わった時点でやっと「おめでとう」だろうと思います。今はとりあえず5合目まで来たところで、これからが長いんです。

放射線が終わったあとは、女性ホルモンを止めるホルモン療法が始まります。女性がんのいくつかは女性ホルモンで増えてしまうので、ホルモン分泌を止めるのですが、結果的に更年期障害が出るケースがあるそうです。

でも私の場合、それを待たずに、抗がん剤の影響で卵巣が機能を停止したみたい。生理がこなくなり、ほぼ同時に更年期障害が始まりました。

私の場合、指が痛いの。指の痛みを感じたのは抗がん剤「AC療法」での治療中、肺炎を起こした10月で、11月に入ったらいきなり手を握るのが痛くなりました。最近では、ペットボトルのキャップが開けられなくて誰かに開けてもらっているほか、服のボタンを自分で留められなくなったり、靴を履くときに靴ベラが必要になったりです。アイスホッケーのアンバサダーになったのですが、靴ひもが結べなくて困ってしまい、結局お願いして結んでもらいました。こんなことができない自分が情けなくなることもあります。

私、これまで更年期症状と無縁だったので、この指や関節の痛みが症状なのだとはまったく知識がなくて、最初は違う病気だと思ってしまいました。だって、「手が痛い・指が痛い」で検索すると「膠原病」とか「関節リウマチ」とかが出てくるから……。焦ってしまって、どうしようと薬剤師の先生に相談したら、「抗がん剤の負荷で卵巣機能が低下したのだろうから、そうした更年期症状も起きるはずです」と言われました。

そういえば入院中はホットフラッシュにも悩みました。カーッと暑さが頭に上ってくる感じです。11月になったとたんに室内が暖房に切り替わって、暑い暑いって。でも帰宅したらなくなりました。

こんな具合に、この病気になったおかげでさまざまなドラマが起きます。自分自身に起きることだけでなく、人間関係も変わりました。これまで接点のなかった新しい分野からもたくさんの好意的なお声がけをいただけるようになって、SNSを使わない人でも、ニュースサイト経由で私の病気を知ってくれます。インスタのフォロワーは10万人増えました。この10万の皆様の多くはおそらく、ご闘病中、または闘病者がお近くにいらっしゃる方でしょう。誰もがよりよい闘病を行える環境を整えるため、私も助けになりたいです。

すでに年明け、大きながんの啓もうイベントに登壇の予定があります。私がお役に立てるなら、どんどん引き受けていきたいです。いま、私はラジオもやりたいんです。「今日のお悩みは?」「わかるー」から始まるようなラジオ。「恋愛相談です」「え、私に恋愛の相談するんですか?」みたいな(笑)。新年度の番組編成中の皆様、ぜひご検討ください。

手術直後はそれほど苦しまなかったのだけれど、退院後が本当にしんどかった

手術のことも記録しておかないとね。痛みって忘れるんですよ、もうすでにだいぶ忘れました。出産の痛みをみんな忘れているように、私たちはもともと痛みを忘れるようにできているのだなと痛感します。退院直後は痛いってあれだけ泣いていたのに。

手術は10時スタート、13時30分ごろ終了でした。朦朧としてよく覚えていませんが、夕方から意識が戻り、夜はご飯を食べられました。ぎゅーっとコルセットをしていて、何がどうなっているかなんて恐ろしくて考えたくなくて。夜は睡眠導入剤が出ました。

翌朝看護師さんがきて、梅宮さんおはようございます、歩きましょうと。いきなり、すぐに歩くんです。でも、私は夜中にトイレに行けていたので「はーい」って。実は手術直後から静脈に直接痛み止めがつながっていて、10分たてば押していいんです。10分たったかな、ぴこ。夜中はこれを使えていたので、何てことはありませんでした。でも、朝に看護師さんと一緒に院内を1周したら「梅宮さん1周できますね、ではおしっこの管をとります」。はーい、これトイレ行かなくていいからラクでしたよね、なんて言ってたら、そのまま静脈の痛み止めも抜くんです。「もうこれで終わりです」って。心の準備をさせてくれないんです(笑)。

私、みんなに言いたいけど、覚悟しておいてくださいね、点滴の痛み止めはいきなり終わりますし、飲み薬はあまりにも違いがありすぎます。だって痛み止め、カロナールなんだもん。100から0くらいの違いです。もうここでしょぼんとしちゃって、そこから6日間ほとんど効き目のないカロナールを飲んで耐えていました。夜眠るときだけは睡眠導入剤に助けられました。

手術から1週間、体内にリンパ液を出すドレーンを入れていて、袋を下げていました。最初は血だったのが少しずつオレンジへと変わり、黄色になると退院できます。だいたいの人は1週間で退院です。退院の朝にドレーンを抜くのですが、いざ出してみたらおへその左から鎖骨あたりまで入っていたので、こんなに長くて。びっくりでした。

乳がんの手術は、体験記を見ても「痛くない」って言われていますが、痛かった。リンパ節も切除しましたが、神経の集中する場所ですから、痛いものは痛い。3カ月くらい痛いと思います。痛さにもいろいろ痛さがあることを知りました。傷口の痛さは最初になくなりました。残ったのはまわりがヒリヒリする痛さ。傷でも何でもないところがヒリヒリするし、筋肉が引っ張られる感じで痛いんです。しくしく、ずきずき、ヒリヒリ、ぴりぴり。なぜヒリヒリするかというと、乳房ひとつ分はぎ取っているので。毎日痛い場所が違うんです。

リンパ節は23個切除して、うち7個にがんが転移していました。リンパ節って体脂肪の量で数が違うみたいで、体が大きい人なら40個、細い人なら15個ということもあるそうです。目で見える限りのがんは全部執刀医が取ってくれたのですが、肉眼で見えないものが病理に回りました。1つ2つだったら放射線治療は受けない可能性がありましたが、7個となるとそうはいかなくて。私は術後が大事だと思っていて、仮に2つ3つでも抗がん剤と放射線をやってくださいとお願いするつもりでした。中途半端に終了して再発が早まっても困るからです。やっぱり、「そんなにあるんだー」ってなりますよね。考え方によっては7つしかなかったとも言えるけれど。

つづき>>>梅宮アンナ「この病気になってみてわかったことがたくさんある」。じっくり考える時間が増えて意識したことは


《OTONA SALONE》

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