近年、「イクメン」という言葉がすっかり定着し、育児に積極的に参加する男性が増えてきました。SNSやメディアでは、“理想的な父親”としてキラキラとしたイクメンの姿が称賛される一方、現実には仕事や家庭の事情で理想通りに動けず、苦悩を抱える男性も少なくありません。育児と仕事を両立させることは、思った以上にハードルが高く、気がつけば夫婦間のコミュニケーションが不足し、会話が噛み合わなくなる、レスになるなど悩みが拡大するケースも多いのが実情です。
今回インタビューを行ったのは、まさに「イクメンを目指していたものの、現実の厳しさに直面している」という結婚6年目のトシヤさん(42歳・会社員)です。もともとはメーカー勤務で安定したキャリアを積んでいたトシヤさんは、出世と年収アップを狙い、外資系コンサルティング企業への転職を果たしました。
共働きの妻(35歳)と3歳の子どもを支えながら、 “イクメン”としても張り切っていたトシヤさん。しかし転職先の想像以上の激務に追われ、気づけば夫婦ともに育児と仕事のバランスを崩してしまったのだといいます。
今回は、家庭の問題や社会課題を男性側の視点で捉え、執筆を続けるライターの山下あつおみが、夫婦関係の危機に直面したトシヤさんの苦悩や、赤裸々な本音、そこから見えてくる“男性の育児・仕事両立の難しさ”について、じっくりお話を伺いました。
【無子社会を考える#23】前編
転職に踏み切ったきっかけと育児の両立
トシヤさんは、大学卒業後すぐに大手メーカーに就職。順調に昇進し、30代半ばには管理職の一歩手前までキャリアを積んできました。ところが、「このままメーカーでキャリアを重ねても、自分が本当にやりたい仕事にチャレンジできていないのではないか」という思いが強くなっていったそうです。また、結婚して妻と家庭を持ったことが大きかったといいます。
「夫婦ふたりになったときに、ちゃんと豊かに暮らせるのか。子どもが生まれたら、どれくらいのお金が必要になるのか。30代後半になるにつれて、そうした将来への不安が具体的になっていきました。働き方そのものを見直しつつ、年収を上げたいという気持ちも強くなっていたんです」
そんなタイミングで、かねてから興味を抱いていた外資系コンサルティング企業からスカウトの話が舞い込みました。育児中の妻との相談を重ねたすえ、 “ここでチャレンジしなければ一生後悔するのでは”という思いで転職を決意。しかし、そこには思わぬ落とし穴がありました。
転職後の働き方は、トシヤさんが想像していた以上に苛烈なもの。海外のクライアントともやりとりを行うため、早朝から深夜にかけて打ち合わせが入ることもしばしば。プロジェクトが複数同時進行するため休日も落ち着かず、どんどん家事・育児への参加が難しくなっていったといいます。
一方、奥さまは金融系の正社員として時短勤務を続けていましたが、2歳の子どもを保育園に預けながら仕事をするのは容易ではありません。園からの呼び出しがあれば迎えに行くのは妻が中心。朝も夕方もバタバタで、夫婦でじっくり話し合う時間などまったく取れない状態だったといいます。
「もともと妻はフルタイムで働いていたんですが、出産を機に時短になりました。僕の転職タイミングと重なったことで、妻がほぼワンオペ状態に近い形になってしまい……。自分も“休みの日こそイクメンになって、積極的に育児する!”って思い描いていたんですけど、思い通りにいかないことが増えてきました」
妻との夜が没交渉になった意外な経緯
転職直後の慌ただしさに加え、子どもの生活リズムは想像以上に夫婦の生活を揺さぶります。とくに夜泣きが続くと、夫婦のどちらかが夜中に起きて対応しなければなりません。トシヤさんも「自分が対応したい」と思うことはあっても、翌朝早朝からクライアントとのオンライン会議が入っているなど、実際に動けないことが多かったそうです。
「実家のサポートも距離的に難しいので、結果的に妻はほぼ一人で子どもの夜泣きに付き合っています。僕も“頑張りたい”という気持ちは強かったんですが、何度か深夜対応をやってみたら翌日の会議で大失敗してしまって……。結果的に仕事に大きな影響が出て、夫婦会議の結果、まずは仕事を安定させなければという優先順位になってしまいました」
そんな状況で深夜に家へ戻ると、奥さまは疲れ果ててすでに寝落ちしているか、あるいは子どもをようやく寝かしつけた直後でくたくた。夫婦でゆっくり言葉を交わす暇もなければ、スキンシップの余裕もありません。数日、数週間とそうした日が続くうちに「いつから抱いていないのだろう?」という疑問がたまに浮かびます。
トシヤさんは「子どもや妻のことを考えると、僕が勝手に盛り上がって途中で中断するのも申し訳ない」と感じ、最初から“そういう展開”を自ら遠ざけるようになっていったのです。
「自分の性欲がゼロになったわけではないんです。だけど、子どもが不安定に泣きそうな状況で、親がそういう行為をしていいのか……という罪悪感もありました。妻は妻で夜泣き対応が辛すぎるので、それどころじゃない様子なのは当たり前ですし。気がつくと1年半くらいはレス状態が続いています」
さらに育児の疲労で奥さまが体調を崩すときなどは、「とても誘える雰囲気じゃない」と感じることもしばしばあったそうです。「妻に申し訳ない」という気持ちと「自分も忙しくて余裕がない」という気持ち、二つの板挟み状態は夫婦の夜の営みへの意欲を弱めていき、いつの間にか当たり前のように“レス”が日常となってしまったといいます。
イクメンになりたいのに、なれない葛藤
トシヤさんは「実は自分はイクメン志向が強かった」と言います。育児ブログやSNSで発信している男性たちの姿を見て、「こうありたい」と奮い立つ気持ちを抱いていたからこそ、転職をきっかけに改めて“自分もやりたいことはやるが、家庭も大切にする”という姿勢を固めていたのです。しかし、いざ蓋を開けると、想像以上の激務が待っていました。
「外資コンサルの世界では、プロジェクトベースでの働き方が当たり前。ひとつの案件に注力しても、すぐ別の案件の立ち上げが被ってきたりします。しかもグローバル企業なので、日本の時間帯だけで完結しない。気づいたら朝も夜中もミーティングしているなんてこともあるんです」
そんな働き方の中で、「育児を積極的にやっている姿」をSNSに発信するどころか、日々生き延びるので精一杯になってしまったといいます。転職前は「毎晩、子どもをお風呂に入れて寝かしつけるのは自分の担当にしよう」などと考えていたものの、蓋を開ければ在宅ワーク中を含めても会議の連続で手が離せない。
次第に奥さまとの会話も減り、スキンシップどころか日常の些細な話題でさえもすれ違うようになりました。何とか週末に時間を取ろうとしても、妻の心身はすでに疲労困憊。深い溝ができていることを二人とも薄々感じながら、それを埋める術が見つからないまま時間だけが過ぎていったのです。
本編では、トシヤさんが転職をきっかけに激務の日々が始まり、「子育てに参加したい」というささやかな夢さえ打ち砕かれた体験をお伝えしました。
続く後編では、今後の生き方を考えるなおし、夫婦の再構築への道をさぐるトシヤさんの奮闘をお届けします。