美人すぎる52歳「宮田綾子さんっていったい何者?」会社事務員のシンママが大人気インフルエンサーになったワケ【前編】 | NewsCafe

美人すぎる52歳「宮田綾子さんっていったい何者?」会社事務員のシンママが大人気インフルエンサーになったワケ【前編】

女性 OTONA_SALONE/LIFESTYLE
美人すぎる52歳「宮田綾子さんっていったい何者?」会社事務員のシンママが大人気インフルエンサーになったワケ【前編】

フォロワー約28万人。Instagramで投稿をするたびメイクへの反響が大きく、使用アイテムの問い合わせが絶えない50代インフルエンサー・宮田綾子さん。

これまでオトナサローネにて、さまざまなアンチエイジングなメイクテクニックを教えてくださった宮田さんですが、「いったい何者なんだろう?」と疑問に思う方も多いはず。そこで、インフルエンサーになったきっかけや、私生活について根掘り葉掘りインタビューさせていただきました!

リール動画で魅せる姿に憧れる人続出!宮田綾子さんって?

紹介するアイテムや美容サロンは続々と人気になる発信力に定評があり、企業からもフォロワーからも信頼される人気インフルエンサー。Instagramを中心に美容方法などを発信し、SNSコンサルタント・セミナー講師など幅広く活躍。

Instagramのフォロワーは約28万人。メイクやトレーニング、プライベートを紹介するリール動画を載せると再生数がグングンと伸び、250万回再生される動画も。Instagram:@ayako__miyata

>>人生が変わり始めたのは「インスタ映え」が流行語大賞に入ったころだった

「インスタ映え」が流行語大賞に入ったころ、友人にすすめられてInstagramを始めました

    ー52歳でも美しくいられるアンチエイジングの秘訣など、美容のテクニックを惜しみなく発信してくれる宮田さんは、Instagramの投稿を見るたび「元々モデルさん?」「どこかの社長夫人?」などと妄想が膨らんでしまうほどの美貌の持ち主。そんな宮田さんのパーソナルついて根掘り葉掘り聞いてみると、意外な過去が。

「ひと言で言うと…私は何者でもないんです(笑)。私がInstagramを始めたのは2016年の5月……2017年の流行語大賞が”インスタ映え”だったので、流行り始めた頃ですね。

この頃の私は会社で事務員として働きながら二人の子どもを育てるシングルマザーでした。まだ下の子も小さくて、定時に帰れる仕事でないとお迎えに間に合わないし自分の時間は全然ない。仕事に行ってお迎えに行って、家事をして、休みの日もバイトな毎日でしたね」

ーSNSをやる余裕なんてなかった宮田さん。そこからどうやってInstagramに出会ったのでしょうか。

「もともとSNSに興味があったわけではなくて、知り合いの方から『これからInstagramが流行るみたいだから、やってみたら』ってすすめられたのがきっかけです。初めてこのSNSの存在を知りました。

実際に覗いてみたら、オシャレな方々がたくさんいてすごくビックリしたんですよね。私は会社と家の往復でこれが当たり前の生活だと思っていたけど、自分と同年代の人が素敵な写真をあげていて、世の中にはいろんなことをやっている方がいるんだなって知らなかったので結構な衝撃。

当時は”インフルエンサー”という言葉もなかったけど、すでにInstagram上で活躍されている方がいらっしゃって。『普通のママさんだけどモデルさんみたいだし、一体なんなんだろうこの人たちは』って、私もその人たちを見て思ったんです」

>>この道に進んだのは理由は正直……

「私もインスタで見るようなキラキラママさんになりたい」っていう単純な動機から、それが実現できるようになって……

「そんな素敵な同年代ママさんを見ていると、『私もそれやりたい!』って思ったんです。単純な動機なんですが……(笑)。正社員でなかったので、1日休んでしまうと、その日のお給料も出ない。子どもがインフルエンザになったらもう大変で。そういう背景もあったので、シングルマザーとして子育てするには、もう少し融通のきく仕事がしたいとも考えていました」

ーまさか宮田さんも見ていた側で、だれもが考える「いいな〜」という気持ちがきっかけだったとは……!ただ、インフルエンサーとしてお仕事ができる人はごく僅かなのが現実。宮田さんはいったいどうやって?

「まだ流行り始めたばっかりで周りにインスタに詳しい人も聞く人もいなくって。もうとにかく会社の行き帰りの電車の中でずっとインスタを見て自分で研究していました。そしたら『フォロワーが多くなきゃできないんだ』『どうやったらフォロワーって増えるんだろう?』ってところに行き着きました。

当時のインスタは写真が映えていたらフォロワーがどんどん増えていく時代。職場が六本木だったというのもあって、お昼休みに職場の人に写真を撮ってもらって載せたり。(今見たらオシャレかな?と思ってしまうのですが)主に着ていたファッションを載せていました。

そしたら1年でフォロワーさんが2万人まで増えたんです。その頃にちょうどインフルエンサーマーケティングが流行り始めて、当時アラフォー・アラフィフ向けの案件は2万人でも重宝されていたので、この年代の案件が集中して来るようになりました。

インフルエンサーマーケティングの波にうまく乗っかって、私がインスタを始めた当初にやりたい!って思っていたことができるようになってきたんですよね」

▶▶次のページ 会社を辞めて「インフルエンサー1本」で子どもを育てる決断をしました


《OTONA SALONE》

特集

page top