フジ新人・梶谷直史アナ、“15年野球一筋”最大の挫折乗り越え「自分史上最高の経験ができた」培った精神力から飛び出す力強い言葉の数々【モデルプレスインタビュー完全版】 | NewsCafe

フジ新人・梶谷直史アナ、“15年野球一筋”最大の挫折乗り越え「自分史上最高の経験ができた」培った精神力から飛び出す力強い言葉の数々【モデルプレスインタビュー完全版】

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モデルプレスのインタビューに応じた梶谷直史アナ(C)モデルプレス
【モデルプレス=2024/10/01】2017年12月から2021年2月まで、約3年半にわたった「フジテレビ×モデルプレス」アナウンサー連載が、この度特別復活を果たした。今回は、2024年入社の梶谷直史(かじたに・なおふみ/23)アナウンサーにインタビュー。

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◆「フジテレビアナウンサー×モデルプレス連載」特別復活

テレビで輝かしい活躍を果たすアナウンサーたちも1人の人間。画面から離れたところでは、失敗して泣いていたり、悔しくて眠れなかったり、自分の居場所に悩んでいたり…。それでも気持ちを落ち着かせ、どうしたら視聴者に楽しんでもらえるのか、不快感を与えないのか、きちんと物事を伝えられるのか、そんなことを考えながら必死に努力をしている。ここではテレビには映らないアナウンサーの“素”(=等身大の姿)を見せていく。

梶谷アナは慶應義塾大学の硬式野球部でピッチャーをしていた経験を持ち、商学部を卒業後、2024年に入社。「Live News イット!」でフィールドキャスターを務めるほか、「BSフジLIVEプライムニュース」(火、水、金)「すぽると!on TVer」(火、水、金)にも出演している。

◆梶谷直史、アナウンサー目指したきっかけは野球実況

― アナウンサーになろうと思ったきっかけから教えていただけますか?

梶谷アナ:中学時代、高校受験のために毎日夜の10時くらいまで塾に通っていて、帰宅してから父親とニュース番組でスポーツを見る時間がありました。その期間のウェイトは塾が7割で、野球が3割くらいまで落ちていて、どうしても自分が満足に野球をできなかったので、スポーツコーナーの野球を見て「六大学で野球をやりたいから高校から(慶應に)入ろう」と少しでも自分のモチベーションにしていましたし、スポーツキャスターの方が取材に行って、選手の気持ちに寄り添って楽しそうに伝えているのがとてもかっこいいと思っていました。

また、実況もとても魅力的で。スポーツは実況があることにより、さらに彩りが加わって、見る人をワクワクさせたり、期待感を持たせてくれたりするものだと考えています。そのように自分がやりたいと思えることを仕事にしたいと思い、1回しかない人生でチャレンジしようと考えました。

― 観ていた試合の実況で印象深いものはありましたか?

梶谷アナ:2006年のWBC(ワールドベースボールクラシック)の時に、代打で福留孝介選手が出てきた試合は印象に残っています。不調でスターティングメンバーから外れていたのですが、実況の方が「生き返れ!福留!」と言った後にホームランを打って感動しました。また、先輩の三宅正治アナウンサーの実況で驚いたことがあって。日本シリーズの中日VSロッテの試合で、基本的にはピッチャーとバッターの勝負と考えるところを、あえてキャッチャーとキャッチャーの読み合いにフォーカスしていて、かっこいいと感じました。入社後、このシーンのことを三宅正治アナウンサーに聞く機会があり、あれは取材した時にキャッチャーの苦悩を知っていたからこそ、そこに焦点を当てて伝えたかったと仰っていて、画面から読み取れる事象だけでなく、視聴者が知らない情報を盛り込むことで、まるで物語を読んでいるかのような印象を受けました。そのためにも、選手に取材に行き、信頼関係を気付くことが重要なことだと認識しました。選手との信頼関係が築けている上で、その選手の苦労を伝えていて「何が起こるんだろう」とワクワクさせられたのを今でも覚えています。

― 新たな着眼点の実況に魅せられたのですね。そういったことも就職の面接で話されたと思いますが、ほかに就職活動でどんなことをアピールされましたか?

梶谷アナ:他の皆さんは留学に行かれていたり、テレビ局でアルバイトしていたりといった経験がある中で、僕は何をしてきたのだろうと考えたら、もう元気と明るさかなと。僕は小学校2年生から大学4年生まで野球しかしてきていないので、皆さんと比べたら持っているエピソードトークは少ないと思ったのですが、もう「これだけ野球を続けてきた」ということをアピールしようと開き直りました。野球を長く続けてきたからこそ辛いこともたくさんありましたし、上手く行った時の喜びはもう何事にも変えられないということをアピールしました。

◆梶谷直史アナが挫折を乗り越えた方法

― 15年野球を続けていて、慶應義塾大学の体育会硬式野球部でもピッチャーとして活躍されていましたが、ハードな練習や試合などはありましたか?

梶谷アナ:正直、戻りたいかと言われたら戻りたくないと思うくらい、きつくて辛い苦しい思い出しかないです。野球は「失敗のスポーツ」と言われていて、プロ野球でもよく打つ良いバッターを「3割バッター」といいますが、それでも7割は失敗なんです。ピッチャーは特に失点するごとにマイナスがついていって、実際に僕が試合で登板しても抑えて当たり前という中で結果を出さなければいけなくて、同期と切磋琢磨していました。

― これまで1番辛かった挫折や失敗などを乗り越えられたという経験がございましたら教えてください。

梶谷アナ:高校2年生で肘の靭帯を怪我してしまって、その後復帰した時にイップスになってしまったんです。ブルペン(投球練習場)では投げられるのですが、試合では精神的な原因でうまく狙ったところにボール投げられなくなって、マウンドに立ってもストライクが入りませんでした。チームではキャプテンを務めていましたが、自分のプレーで結果が出ていないと部員にも示しがつかないという重圧もあって、監督に「キャプテンを辞めさせてほしい」と言いました。大学も慶應で野球をするために高校から入学していたのですが「野球は1回辞めよう」と考えるほど辛くて、毎朝起きるのも憂鬱で野球が嫌いでした。でも、引退して3ヶ月ぐらい経った時「どうしようかな」と考え、今まで野球しかしてきていないことに気づきました。父親も元々六大学野球がとても好きで、小さい頃から連れて行ってもらっていたので、両親のために恩返しをしたいという思いで、もう1度野球をやると決断しました。

僕は運良く、大学入学前から練習に参加できる「2月組」で選ばれて入部しましたが、イップスが治っていない状態を隠したまま、初登板で全然ストライクが入らず「大丈夫か」と不安に思われていました。ですが、当時の監督にできない状態を精神的なものではなく技術的なものだと置き換えるよう言われたことが、考えを転換する大きなきっかけになりました。結果はすぐに出ないかもしれないけれど誰よりもとにかく練習して、徐々にその年の9月、10月くらいから少し結果が出るようになっていきました。

ただ、その矢先にまた怪我をしてしまったんです。その後半年ぐらいボールを投げなかったのですが、1度挫折を経験したからこそ、そんなにマイナスに落ち込まず、その前まで少しずつ結果が出てきていたので、怪我の期間でよりパワーアップして帰ろうと前向きに捉えられました。大学の新人戦では法政大学にコールド負けして弱い世代と言われた中で、最後の大会はリーグ戦も優勝して大学の日本一を獲ることまでできて、1番良い景色を見ることができました。野球部での経験は今思うと、練習がしんどかったので戻りたくはないですが自分史上最高の経験ができたなと思います!

引退して同期と会った時に笑って話せるんです。全員が辛い思いをして同じ苦しみを味わったからこそ、今だから言える当時の気持ちや本音があって「あの練習は正直しんどいと思った」「監督やコーチ、選手との意見のぶつかり合いの時の心境は?といった生の声を聞けて楽しかったです。それでも、先輩方や同期、後輩、コーチ、監督と周りの方が支えてくださったのでここまでやり抜くことができました。どのフェーズでも仲間に恵まれたことが大きかったです。今も同期やアナウンス室の環境にも恵まれていることをとても実感しています。

◆梶谷直史アナ、野球部の経験が活きている瞬間

― そういった野球部の経験はアナウンサーになってから活きていると感じる瞬間はありますか?

梶谷アナ:緊張をあまりしないことです。野球は生の反応がある観客が大勢いますが、テレビはカメラとスタッフの方が何人かいるという感じなので、人が少ないという面で少し緊張しないのかなと思います。緊張している時はワクワクするというか、自分に期待をするから緊張するわけであって、だからこそ楽しめます。元々は緊張に弱くて登板の前日は緊張して睡眠が浅くなってしまって、ご飯も当日は食べられなかったんですが(笑)、ある時から開き直ることができました。緊張しているということはアドレナリンも出るので、それだけパフォーマンスも上がります。今は緊張している時の方が「いける!」と思いますし、いつもより力が出るとプラスに捉えられるようになりましたし、それが1番仕事にも活きてきました。また、たとえ生活リズムが崩れても、野球で体力的、精神的には鍛えられたので辛くないというのも大きいと思います。

― お話を聞いていると野球に打ち込んだ学生時代を振り返って楽しかった、やってよかったと思っていらっしゃる理由が分かった気がします。逆に「こういうことやっておけばよかった」と学生時代を振り返って思うことはありますか?

梶谷アナ:1つ明確なものがありまして、入社して勉強の大切さに気づきました。僕は野球1本でやってきて、大学では単位が取れたらいいくらいに思ったこともあったのですが、今、アナウンサーとして伝えることを仕事にしている以上は、学や教養を身につけて理解していることを伝えるのと、自分があまり詳しくないということを伝えるのでは、視聴者への伝わり方が違うのかなと思います。もちろん新聞を読むことを日常にして、読んで分からない単語や経済、政治などで「どういう仕組みなんだろう」と疑問に思ったらすぐに調べるようにしています。「ペンは剣より強し」という言葉があるように、勉強することが自分の強みになると信じています。勉強の大切さに気づくのは少し遅かったのですが、長い人生で考えたらまだ早いうちに気づけたのかなと思い、意識してやるようにしています。

◆梶谷直史アナ、強みは「まだない」挑戦したいことは?

― アナウンサーを目指している学生の方もとても多いと思うのですが、そういった方々に向けてアドバイスを送るとしたらどのような言葉を送りますか?

梶谷アナ:どんなアナウンサーになりたいかという理想のアナウンサー像もあると思うのですが、強みを持つことが大事だと思います。入社してからも強みがある人、物珍しいバリューのあるものを持っている人が、社会に出ても重宝されると感じます。アナウンサーも一緒で、あまり人が持っていない珍しい能力があることが強みになると思うので、どんなことにも果敢にチャレンジして、自分の強みを理解して伸ばしていくことが大事だと思います。

― ご自身の強みは何だと思いますか?

梶谷アナ:「僕の強みはなんだろう」と思った時にまだないと感じてしまって。だからこそ勉強をしっかりして、何かの分野に長けた人になろうと思うようになりました。先日、野球部の同期と食事をしていて天気キャスターの仕事をしている(9月まで「イット!」天気キャスター)と話したところ「気象予報士の資格持っているの?」と言われたことが衝撃的で1番印象に残っています。

もちろんこういったインタビューのように話す機会があれば、自分のキャラクターや特性も分かっていただけると思いますが、テレビで自分を初めて観る視聴者の方にとっては「この人はこういう資格を持っているからこの知識に長けているんだ」という事前情報があるだけで全然違うのかなと感じました。より視聴者に伝わりやすくするために勉強をして伝えている人の方が信頼度は高いと思います。

◆梶谷直史アナ、美容好きの一面も

― これから強みを作って信頼を築いていきたいということですね。ちなみに、今取得したいと思っている資格はありますか?

梶谷アナ:僕は美容好きなので、今勉強しているのは美容の資格です。これは僕の趣味でもありますし、僕自身が思春期に肌荒れやニキビで悩んでいたからこそ、少しでも説得力のある有益な情報を発信できたらと思っています。学生時代の楽しい時期に、朝起きてニキビができているのを鏡で見ると精神的にも辛い経験をしました。そういう経験をする人を少しでも減らしたいし、悩んでいる人のために動きたいと思って勉強しています。

― 是非広めたい美容法などはありますか?

梶谷アナ:僕が今1番興味を持っているのは気候との関係性です。気温によって汗や皮脂の出る量も変わったり、湿度によって肌の潤いも変わったりしますし、肌の老化のおよそ80%は紫外線と言われているので、気象ともう少し絡めてお伝えできるのかなと思っています。

◆梶谷直史アナが入社後ぶつかっている壁

― フジテレビに入社されて半年ほど経ちましたが、梶谷アナが今仕事で悩んでいること・ぶつかっている壁はありますか?

梶谷アナ:台風中継をしたのですが、初めての中継でその場の物事を伝える難しさを感じました。雨の降り方であっても「地面を叩きつけるような」「横殴りの」などいろんな言い方ができるように語彙力を身につける必要性も感じましたし、もともと声のトーンが少し高いので落ち着いて伝えられていないというところが課題に感じました。声が高いのがコンプレックスでもあり、直したいなと思う部分なのですが、落ち着いた雰囲気にしすぎてしまうと、逆に「今日は元気なかったね」と言われてしまうので、その間を取れるようになりたいです。

― そういった課題を解消するために練習していたり、どなたかに相談していたりしますか?

梶谷アナ:どうしようと悩んでる時期もありましたが、悩んでいる時間が無駄だと思い、結果はすぐに出ないかもしれないですが、コツコツ練習していれば出るようになるのだと考えています。そのために、先輩からフィードバックを受けて、自分のオンエアを録画したものを見直し「声が高いな」「声量が落ちてしまっている」などを踏まえて、もう1回終わった原稿を読んでみて録音を聞き比べています。特に実況を担当することになったら、マイク乗りがいい低い声を目指していきたいです。

― どなたにフィードバックしていただくことが多いですか?

「イット!」の宮司さん(宮司愛海アナ)と木村さん(木村拓也アナ)から毎回終わるたびにフィードバックしてもらっています。宮司さんには、スタジオのコメントを受けての相槌の打ち方について「そうですね」という同じ言葉でも、喋り方次第ではそれが何パターンにもなるということを教わりました。木村さんには、子供たちと一緒に中継した時に僕が「もう少し子供たちに触れた方がよかったですか?」と聞いたところ「そこよりも子どもたちとオンエア前によりコミュニケーションを交わして信頼を得てからオンエアを迎えることが大事。オンエアももちろん1番大事なんだけどその前が本当に大事だよ」と教わり、本当にお二方には1番お世話になっています。

― 先輩方からのアドバイスやご自身の練習を踏まえてオンエアを重ねるごとに改善していってる実感はありますか?

梶谷アナ:自分で実感できたら大きな変化が出ていると思うのですが、まだまだ自分では実感できていないので続けるしかないと思っています。

― フジテレビアナウンサーのYouTubeチャンネルに出演されていた時に「アナウンサーになって毎日楽しい!」と笑顔を浮かべていたことが印象的でしたが、そういった悩みを抱える中でもポジティブに切り替えられる秘訣などはありますか?

梶谷アナ:失敗も入社してから数えきれないです。ただ、失敗して落ち込んだところで今は変わらない。僕が1番嫌なのは失敗を恐れて失敗することです。消極的な失敗や挑戦しない失敗は後悔が残りますが「自分でやることはやった」と挑戦した失敗からはいくらでも学ぶことがあると思っています。

◆梶谷直史アナの夢を叶える秘訣

― それでは最後に、夢を追いかける読者に向けて、アナウンサーという1つの夢を叶えた梶谷アナの「夢を叶える秘訣」を教えてください。

梶谷アナ:自分の意志の強さと、やり抜く力がとても大事なのではないでしょうか。夢に到達するまでが必ずしも自分の思い描いたビジョンではないことも多いと思いますし、遠回りしたり、障害物や壁が出てきたりすると思うのですが、そこで諦めてしまったら夢は叶わないので、だからこそやり続ける、やり抜く力がとても重要だと思います。

必ずしも自分の思い描いたビジョン通りには物語は進まないと思いますが、諦めずにやり抜く力で走り切ってほしいと思います。

― 梶谷アナが今叶えたい夢や目標はありますか?

梶谷アナ:「アナウンサーといえば梶谷さんだよね」と言われるようになることが今の夢で、視聴者の方との距離が近い信頼度の高いアナウンサーになりたいです。また、ニキビなど肌に悩んでいる人を僕が発信する美容情報で助けたい、少しでも明るい話題を提供したいと考えています。

― ありがとうございました!

(modelpress編集部)

◆梶谷直史アナのとあるスケジュール

10:00 資料作り

14:00 神宮球場到着

14:30〜 選手取材

17:00〜 野球中継打ち合わせ

18:00〜 試合開始(実況者の横でスコア作成)

21:30〜 ヒーローインタビュー

22:00 終了

◆梶谷直史アナプロフィール

生年月日:2001年5月11日
出身地:岡山県
出身大学:慶應義塾大学商学部
入社年:2024年
担当番組:スポーツ中継(野球・駅伝)、「Live News イット!」フィールドキャスター(月)、「BSフジLIVE プライムニュース」(火、水、金)、「すぽると!onTVer」(火、水、金)

【Not Sponsored 記事】
《モデルプレス》

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