私は子供の頃、「大人はちゃんとしている」と思っていた。
知り合いに会えば「まあ、ご無沙汰しておりまして。お元気そうでなによりでございます…云々」などと、よどみなく丁寧な挨拶ができる。
お中元や、お歳暮を贈り合い、達筆で、「拝啓」「草々」「時候の挨拶」やらを駆使したお礼状を書く。
公共料金の支払いを忘れることなく、確定申告もちゃんと期日までにこなし、その他、役所や会社に提出する書類の書き方がわからなくなったりしない。
大人はちゃんとルールを知っており、常識を知り、癇癪を起こしたり、卑怯なことをしたりせず、生活していると思っていた。
全然、ちゃんとしてない子供だった僕は「大人になったら自然とちゃんとするのだろうな…」と思って生きていた。
最初におかしいと思ったのは20歳の頃だ。子供の頃の予定では、20歳はもう大人であり「ちゃんとしている」はずだったのだ。
でも、全然違った。
20歳の僕は、友達と騒ぐことと、女性にしか興味のない、「ちゃんとしている」からは程遠いバカな大学生でしかなかった。
その後も、就職すれば、結婚すれば、部下ができれば…と「ちゃんとする瞬間」を待っていたのだが、まったく「ちゃんとする」気配がない。
最後のタイミングだったはずの30歳も相変わらずな感じで迎えてしまった。
私は「大人になればちゃんとする」というのは間違いだと気付いた。
「ちゃんとした大人になる」には、努力を有するものなのだ。
努力もしないで、ある日、突然「ちゃんとする」ことなどありえない。
そして「ちゃんとした大人」に見える人も、その大半が「ちゃんとしたフリをしている大人」であることも知った。
今の子供たちは、周りの大人を見て、テレビを見て、気付いているだろう。
政治家や、教育長や、学校の先生…「ちゃんとした大人」に見える人の大半は、全然「ちゃんと」なんかしていないことを。
「ちゃんとした大人になる」のを私は諦めた。
でも「ちゃんとしたフリをする大人」にはなりたくない。
子供たちが憎み、信用しないのは「ちゃんとフリをした大人」だ。
私は大人の一人として、子供たちから信用されたい。
子供を守るという意思があることを。正しいことを行える勇気があることを。
[編集後記~Newsスナック/NewsCafe編集長 長江勝尚]
《NewsCafeコラム》
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