3月24日、東京地裁(村山浩昭裁判長)で秋葉原連続殺傷事件の判決がありました。
判決は死刑。
最大の争点は、死刑か、死刑が回避されるのか、でした。
ちなみに、これは裁判員裁判ではありません。
裁判官のみの裁判で、うち女性の裁判官は一人で、証人の証言中に涙を流していたこともありました。
また、村山浩昭裁判長といえば、覚せい剤取締法違反に問われたタレント・酒井法子の裁判をこなしています。
事件当日を振り返ってみます。
2008年6月8日。西新宿を歩いていました。
インターネットで心中相手を募集し、実行する「ネット心中」を呼びかけた人で、結果的に自殺を回避した中年男性の妻から連絡があり、取材をするために約束の場所へ向かう途中でした。
知り合いの週刊誌記者から電話が入りました。
「渋井さん、いまどこですか?秋葉原じゃないんですか?」
「何かあったの?」
「秋葉原で通り魔事件です。行かないんですか?」
一報が入ったとき、私はそれほど気にしていませんでした。
「通り魔事件」といっても、具体的な内容が分からないし、こうした突発的な事件では、取材をするにしても、人員が投入できる新聞やテレビ、雑誌の記者にはかなわない。
仮に取材するとしても、周辺取材になる。
そんなことを思った私は、約束通りの取材をしようと思っていました。
取材中もメールや電話がなりました。先の週刊誌記者からも電話があり、
「僕は静岡に行きます」
「え?どうして静岡?」
「犯人が、静岡に住んでいたらしいので、その周辺取材です。僕は現場には行っていません。もう新幹線の中です」
慌ただしい会話でした。
新聞記者時代であれば、こうした突発的な事件が起きると、日常の取材を中止したものでした。
ただ、今はフリーランス。そこまで頑張る必要はないと思いました。
しかし、取材が終わると、現場の様子が気になり、携帯電話でネットのニュースをチェックしました。
まだ現場の情報がほとんどありませんでした。
いつもなら、そこまで気にしなかったのですが、なぜか胸騒ぎがしました。
事件現場が「秋葉原」というのも一因にあったかもしれません。
しかも、日曜日ですから、「歩行者天国だったはず」という考えも浮かびました。
知人のカメラマンなども秋葉原に向かっていました。
いったいどんな事件なのかは現場に行くまではわかりませんでした。
現場に着きますと、まずは周辺にパトカーが見えました。
その周りには多くの人の集りがありました。
現場付近の「秋葉原の交差点」には、警察官がたくさんおり、すでに、加藤被告が乗って来ていたレンタカーも片付けられ、被害者も病院に運ばれた後でした。
それでも取材記者たちが目撃者探しをしており、私も彼ら彼女らと同様に目撃者を探しました。
この時点で、まさか7人が死亡し、10人が重軽傷を負っていたことは知りませんでした。
ただ、ただ事ではない重苦しい雰囲気が漂っていたことを感じることができました。(続く)
《NewsCafeコラム》
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