
こんにちは、スタイリストの大日方です。普段はただひたすらに「服が好き!」という目線でトレンドやおすすめをリコメンドしています。
2026年1月に乳がんの手術をしました。実はそれ以降、ちょっと生きやすくなったと感じています。それはオトナサローネで乳がんの体験記を書かせてもらったことが大きいのですが、考え方が変わったからだと思います。今回は乳がん手術後に私に起こった思考の変化について書いてみたいと思います。
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私はいつまでも母に褒められたいのだと気づいた。だからこそ、義母の言葉に泣きそうになった
先日、オトナサローネを読んだライターさんから連絡をもらい、乳がんの話を取材してもらいました。新聞にカラー写真付きで大きく載せていただき、とても嬉しかったです。
私が中学生か高校生の頃に父が新聞に載ったことがあって、そのときに母から「新聞に取材してもらうのはすごいことなんだよ」と言われ、読んだ記憶があります。今でもその白黒の紙面をおぼろげに覚えています。
だから、私が新聞に載ったら母が喜んでくれるのではないかと期待してしまったのです。新聞だけ送るのもあれかなと思ったので、新聞とわらび餅を送りました。
届くとすぐに母からLINEで連絡がありました。「届きました。わらび餅をありがとう」。……あれ? 新聞は? と思ったよね。
続きには母が乳がんを患ったときのことが書かれていました。おそらくそれが新聞を読んだ感想なのだと思います。母にとっては仕事が認められて新聞に載るのは名誉なことだけど、病気をして新聞に載ることは名誉ではないのでしょう。
私はもやもやしました。もやもやの正体は「すごいねと言ってもらいたかった」のようでした。私はずっと母から「すごいね」と認められたかったのです。
父からもその後LINEが来たのですが「わらび餅届きました。サンキュウ。体調はオウケイです」と書かれていました。新聞を見てもらいたくて送ったのに、わらび餅にしか言及しない両親に笑ってしまいました。
義実家にも同じように新聞とわらび餅を送りました。お義母さんからすぐ電話がかかってきて「すごいね、新聞に載るなんて! 理子ちゃんは自慢のお嫁さんよ」と盛大に褒めてくれました。私は少し泣きそうになりました。お義母さんが言ってくれた言葉は、私が母から言われたかった言葉だったからです。
きっかけは娘が中学生になったこと。「思いもよらぬ母の一言」で昔を思い出し、目の前が暗くなった
私が母に対してもやもやするようになったきっかけは、娘が中学校の最初のテストで学年2位を取ったことでした。
娘は塾も家庭教師も利用していませんでした。親が教育熱心な訳でもありません。学校の授業を聞いて、宿題をやって、直前にテスト勉強をして2位が取れるなんてすごいと思いました。
娘に「うちの子天才だわ!」と言いました。私はすごく嬉しかったのです。母は頭のいい人が好きなので、きっと喜んでくれると思いました。大型連休に会ったときに私は嬉々として母に娘が学年2位だったことを報告しました。
すると思ってもいない返事が返ってきたのです。「あら、1番じゃないのね」。部屋が少し暗くなったように感じました。
私は褒めてもらえなかった娘よりも、中学生のときの自分が可哀想になりました。中学生の頃の私の成績は学年の真ん中くらいで、上位に入ったことなどなかったからです。私は母が「あら、1番じゃないのね」と言ったことを一生忘れないと思います。
娘と私の「違い」を眺めて気付くこと。メンタル強者は「不要な言葉を受け取らない」
半年か1年経った頃、娘にこの話をしたら覚えていませんでした。「へー、そんなこと言ってた? 忘れた」。1mmも気にしていなかったのです。同じ言葉を言われても「言葉を受け取る人」と「言葉を受け取らない人」で全然意味が違うのだと思いました。
私は愛情深いタイプの人間ではないのですが、娘の存在を否定しないよう心がけて育児をしてきました。例えば、危ない遊び方をしているとき「ダメ!」と言う替わりに「ここに頭をぶつけると痛いから気をつけてね」と言いました。遊び方を注意したつもりでも、ダメと言われた側は自分が否定されたと感じてしまうものだからです。
去年、クリニックで乳がんの疑いがあると言われたとき、真っ先に考えたのは娘のことでした。
しかし、そのときに「娘に伝えるべきことは伝えてある。私がいなくても娘はちゃんと生きていけるだろう」と思えたのは、「君は君のままで素晴らしいよ」という想いで子育てをしてきたからではないか。結果として、不要な言葉を受け取らない人に育ったのかなと思います。
乳がんになって、できるようになったこと

忙しいと乳がん検診を先延ばしにしてしまうことがあると思うのですが、面倒臭がらずに検診は受けに行って下さい。日本人女性の8人に1人が乳がんに罹患すると言われています。
怖いことを言うようですが、マンモグラフィにもエコーにもMRIにも写らないがんが存在します。私は全摘した右胸を細胞検査に出したらMRIで見えていた範囲より広くがんが広がっていたことがわかりました。だから、検診で早く見つけてもらうことが本当に大事なのです。
もう少しで乳がんが見つかってから1年が経とうとしています。早期発見だったおかげで手術でがんを取りきることができ、今はホルモン剤の服用と3ヶ月に1回の通院、半年に1回のCT検査のみ。肩甲骨や脇の肌の内側が痒いことがあるくらいで(手術で切った神経が復活してきた?)、病気がわかる前と変わらない生活を送っています。
病気になってよかったとは思わないけれど、病気がきっかけで「自分は自分にとって替えのきかない存在である」そして「自分の気持ちは自分で決めてよい」と考えるようになりました。周囲への感謝が増し、自分に優しくなりました。
「自分の気持ちは自分で決めてよい」とわかっていても、母へのもやもやはなかなか晴れませんでした。でも呪文のように「自分の気持ちは自分で決めてよい」と繰り返していると、ふと、母と自分は異なる価値観を持っていること、異なる価値観を持っている人から認められるはずがないこと、異なる価値観を持っている人から認められる必要がないことに気が付きました。
学年2位を「天才だ!」と感じる人と「1番じゃない」と感じる人は価値観が違うのです。私は「天才だ!」の方がハッピーだし、自分らしくて好きだなと思いました。ここ数年抱えていたもやもやが晴れて、気持ちがラクになりました。これからも自分のものさしを大切に生きていきたいですし、必要のない思い込みからは自由でありたいと思います。
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