モラハラ父に支配され育った女性が選んだのは、父と同じようなモラハラ夫との結婚だった。幼い頃から叩き込まれた「支配の構造」から抜け出す道はあるのか | NewsCafe

モラハラ父に支配され育った女性が選んだのは、父と同じようなモラハラ夫との結婚だった。幼い頃から叩き込まれた「支配の構造」から抜け出す道はあるのか

女性 OTONA_SALONE/LIFESTYLE
モラハラ父に支配され育った女性が選んだのは、父と同じようなモラハラ夫との結婚だった。幼い頃から叩き込まれた「支配の構造」から抜け出す道はあるのか

モラハラ・夫婦問題カウンセラーの麻野祐香です。

モラハラといえば夫婦間のものと想像される方が多いかもしれません。けれど実際には、親子間の「モラハラ」に苦しむ方も少なくありません。

「雨の日でも、親が晴れだと言ったら晴れだと言え」

「姉には絶対逆らうな」

小さな頃から理不尽な言葉を浴び続け、自分の人生を選べず、父親の支配の中で育ち、結婚後も夫からモラハラを受けることになったEさんのお話を書かせていただきます。

※本人を特定できないよう設定を変えてあります

※画像はイメージです

父親の支配の中で育った子供時代

Eさんが幼い頃から、父親は家庭の絶対的な支配者でした。父は若い頃、厳しい上下関係の中で過ごした経験から、「目上の者に逆らってはいけない。何があろうと上司が正しいんだ」と言い聞かせていました。その上下関係の理屈が、そのまま家庭にも持ち込まれていたのです。

理不尽だと感じても、父に逆らえば「生意気だ」「口答えするな」と怒鳴られる。Eさんはいつしか、自分の気持ちを押し殺し、父の顔色をうかがって過ごすようになりました。

そんな環境の中で、Eさんは「自分の気持ちよりも人の顔色を優先する」ことを、無意識のうちに身につけていきました。それは、子どもなりに学習した結果でした。反論すれば怒鳴られ、逆らえば罰を受ける。黙って従っていれば、とりあえず父の機嫌を損ねずに済む。Eさんにとっては、「逆らわない」「顔色をうかがう」ことが、家庭で穏やかに過ごすための最善の方法でした。

心理学では、これを「適応」と呼びます

心理学では、これを「適応」と呼びます。その場での安心や安全を得るために、心が自分を守る知恵として働いたのです。ただし、この「人の顔色を優先する生き方」は、長く続くと自分の意思や欲求を見失い、「何をしたいのか分からない」「自分の人生がない」と感じやすくなってしまいます。

それはやがて、進学や就職といった人生の大きな選択にも影響を及ぼしていくことになります。

なぜ父親はここまで自分の意見を押し付けるのでしょうか。背景には、父自身の価値観や時代性があります。父は社会で「目上の者に従うことが絶対」という上下関係を叩き込まれてきました。そのため「逆らわないことが正しい」「自分の考えを曲げてでも秩序を守ることが正義だ」と信じていたのです。

もちろん、そこには子どもを思う気持ちもありました。「安定した人生を歩ませたい」「失敗して苦労してほしくない」その願いが強すぎるあまり、父の中では「自分の意見=正しい道」となり、子どもに押し付ける形になってしまったのです。

ただし、親の「教育」と「支配」は紙一重です。しつけのつもりでも、子どもからすれば「自由を奪われる圧力」と感じることがあります。Eさんにとって父の言葉は、安心を与えるものではなく、自分の意志を消し去る力になっていったのです。

親が選んだ学校に通わされて

Eさんは成長してからも、自分の意志を通すことは許されませんでした。高校は「家から通いやすいからここにしろ」と父が決めました。大学も「世間体を考えればこの学部だ」と言われ、そのまま従いました。本当は別の進路に興味があっても、「父が決めたのだから仕方ない」と我慢するしかなかったのです。

就職活動でも同じでした。「安定している会社に入りなさい」「親戚や知り合いの顔をつぶすな」父の言葉が基準になり、Eさん自身の希望は口にすることもできませんでした。Eさんは、心の奥底で「父に認められたい」「褒められたい」という思いを抱き続けていました。だからこそ逆らうことはできず、「言うとおりにしていれば受け入れてもらえる」と信じてしまう。

認めてもらいたい気持ちと、支配に苦しむ気持ち、その相反する感情に揺れながら、結局は父の望む道を選ぶしかなかったのです。子どもの頃から「従っていれば怒られない」と学んできたEさんにとって、父の言うとおりに生きるのは当たり前のことになっていました。

けれど年月を重ねるうちに、「これは私の人生ではない」という思いが心の奥に積もっていきます。Eさんが、父の意向に背いて自分で選んだ唯一の出来事が結婚でした。

その決断は父の激しい怒りを招きました。

「親の言うことを無視するなんて許されない。二度とうちの敷居を跨がせない」

「親子の縁を切る」

父はそう言い放ち、Eさんの存在を切り捨てました。その瞬間、Eさんの胸に浮かんだのはただ一つ。

「自分にはもう親はいない」……それは心の支えを失った、絶望にも似た感覚でした。その決断は皮肉にも、次のモラハラ夫からの支配へとつながってしまったのです。

選んだ夫は、モラハラだった

Eさんが選んだ夫は、結婚前にはとても優しく、まるで「理想の男性」のように見えました。「今まで男性にここまで気を配ってもらえたことなんてなかった」そう思えるほど、細やかに世話を焼いてくれ、時には大げさなほどの優しさを見せてくれました。そのギャップにEさんは心を奪われ、「この人となら幸せになれる」と信じて結婚を決めたのです。

冷静に見ればおかしいと思える行動もありましたが、「仕事で疲れていたんだろう」「本当はいい人なんだから」と自分に都合よく解釈して受け入れていました。後から思うとモラハラの前兆はあったのに、それに気づくことができなかったのです。

本編では、父親の支配のもとで育ったEさんが、結婚後もモラハラ夫の支配に巻き込まれていく過程をお伝えしました。

▶▶ 「私は結局、どう生きたいのか」モラハラ父と夫に支配されてきた女性が、人生を変えた「最初の一歩」とは

では、Eさんがどのようにして自信を取り戻し、未来を変えるきっかけをつかんでいったのかをお届けします。


《OTONA SALONE》

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