娘が家を離れる。これまで2人で帰った道を今日は1人だけで帰る、電車の中で涙がどうにも止まらない【シリーズ・子どもが家を離れる日】#1 | NewsCafe

娘が家を離れる。これまで2人で帰った道を今日は1人だけで帰る、電車の中で涙がどうにも止まらない【シリーズ・子どもが家を離れる日】#1

女性 OTONA_SALONE/LIFESTYLE
娘が家を離れる。これまで2人で帰った道を今日は1人だけで帰る、電車の中で涙がどうにも止まらない【シリーズ・子どもが家を離れる日】#1

昭和に生まれ、平成に母親となった私たちが、令和に子の自立を見届ける。子どもはいずれ家を出ていくものですが、私たちがすんなりと送り出す気持ちになれるのか。あるいは、子がすんなりと離れてくれるものなのか。

ご家庭ごとにそれぞれ迎える「子どもを送り出す日」のお話を、経験者に伺うシリーズです。

【子どもが家を離れる日】#1

お話/リツコさん

54歳、埼玉県在住。行政書士事務所勤務。同じ年の夫と結婚30年めを迎えた。28歳の長女は4年前、就職1年半で実家を離れた。そして今年の2月、22歳の次女が就職を前に実家を離れた。

とうとう娘がいなくなる……あたかも失恋のような、どう努力しても埋められない気持ちでした

次女が家を離れて5か月もたつんですね。あっという間ですが、まだ私は慣れません。

2人の娘を無事に育て上げた満足感もなくはないのですが、少し収まったとはいえ、毎日毎日悲しくて、寂しいです。

今日この話をしてみて、子どもが家を離れたあとの言いようのないこの気持ちって、まるで失恋みたいだなって思いました。ただし「次回」のない失恋です。解決策もないし、あらかじめ備えることもできない。ただ時間がたって自分の気持ちが慣れるのを待つしかない悲しみだなって。

よく子どもは上と下でまったく性格が違うと言いますが、我が家の場合もその通りで、長女は素直に言うことをよく聞くし、次女は自分の決めたことを頑固に守る子どもでした。だから家を出るまでの経緯もそれぞれでした。

長女は大学を卒業後1年半実家に住んで、自分で引っ越し資金を貯めてから東京の海側へと引っ越しました。最初のころはお正月やお盆、連休に帰ってきてくれました。でも、周囲の友人にも言われていましたが、だんだん頻度は減っていって。

いっぽうの次女はもう、すっぱりと、はいさようならという感じでした。

長女の家から帰る電車の中。ただひたすら涙があふれて、どうにも止まらなかった

長女が家を出たときの悲しさは、4年たった今でも鮮明に覚えています。引っ越しの数日後に長女の様子を見に行った帰りのこと。

いままでなら2人で同じ家に帰ったのに、今日は娘を置いて帰る。私ひとりで帰る、私だけが電車に乗って。

帰りの電車1時間半くらいの間、私はずっとぽろぽろ、次から次へと涙を流していました。座って、うつむきながら、目をぎゅっとつぶってハンカチを当てて、声も上げられずただひたすら涙がこぼれてくるのです。「とめどなく」というのはこういうことなんだな、1時間半泣きっぱなしってこれまで人生の中でなかったな。もし誰かと一緒だったら、きっと声をあげて泣いていたと思います。

長女を妊娠したときのことから、お腹にずっといたときのこと、生まれてから……いろんなことを次々に思い出して、あんなこともあった、こんなこともあった。だけど自分の元から離れていっちゃうんだな。ひとつシーンが浮かぶたびに涙がぽたぽたと音を立ててこぼれます。寂しさ、悲しさ、悲しいんだけど寂しい、切ない。いろいろな気持ちがごちゃごちゃになります。明日会おうと思えば会える距離なのに、電車に乗ればいつでも会えるのに、でも一生の別れみたいな悲しみ。

だけど、このときはまだ家に次女がいたからよかったの。家に帰れば次女がいてくれるから。次女が家を離れる寂しさは、長女とはまた違うものでした。もっともっとつらかった。

もしも夫婦仲がもっとよかったら、悲しみを分かち合えたら、こんなに寂しくなかったのかもしれない

私ね、もし夫婦仲がよければまた違った気がしているんです。夫婦仲が悪いから、悲しみを半分こして分かち合えなかった。夫婦仲がよければ分かち合えた気がするのですが、それができず、ひとりでこの思いを全部背負って消化しないとならなかかった。もし夫と一緒に「寂しいね」「悲しいね」って言い合えたら、また違ったと思います。

私は小学校時代に自分の親の離婚を経験していて、そのせいもあるのかな、親子の距離感の正解がよくわからない。親にぐいぐいこられて、あれこれ聞き出されるのもイヤかな、って先回りして遠慮しちゃうんです。

上の子が離れるとき、一緒に部屋の内見に行ったり、どんなインテリアにしようかなんて話すのはとっても楽しかった。いっぽう、自宅の部屋に段ボールが積まれていって、引っ越しの準備をしているのを見るのは辛かった。いざ離れてしまったあともとっても寂しかったけれど、でも自宅にはまだ次女がいたから、ご飯も作らなきゃ、洗濯もしなきゃと、日々の生活に埋もれていって、やがて少しずつ長女の不在に慣れていきました。1週間ほどは何を見ても悲しかったけれども、1週間で気持ちが落ち着いたんです。

子どもを育てているとき、子どもがいなくなる日のことなんて考えていないでしょう。ずっとずっとそばにいると思って育てているから。だから、次女もいなくなるんだなとは漠然とは考えましたが、学年が5つも違うから「まだ先だな」って考えて、そこで考えるのを止めていました。いま思うと防御反応みたいなものですよね、考えを止めるというのが。

きっと親っていつまでもないものねだりなんだね。数日前に昔の同僚とランチして、2月に下の子も出ていってねという話をしたら、「自立心旺盛でいいわね!」って言われたの。一瞬「え?」と思ったけれど、でも、そうなんですよね。そうなんです。「それでいいんだよ、自分でこれから生きていかなきゃいけないんだから、自分で自立心旺盛に世の中に出ていくのはとってもいいことだよ、育児大成功だよ!」って言ってもらえたんだけれど、それはそれで嬉しい言葉なんだけども、でも寂しいんです。

ここでまた考えちゃうんです、次女ももしかしたらまだ実家にいたほうがお金も貯められただろう、だけど我が家は夫婦仲が悪いから一緒にいたくなかったんだろう、早く出ていくって決めていたんだろうなと。

ここまでのお話では長女が家を出るまでをお聞かせいただきました。関連記事では次女が家を出る日の話をお聞かせいただきます。

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《OTONA SALONE》

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