日々が飛ぶように過ぎていくなか、自分のあり方に漠然と迷う40代50代。まるでトンネルのように横たわる五里霧中ですが、そんななか「ほんのちょっとしたトライ」で自分のあり方を捉えなおすには、「最初の一歩」に何をしてみればいいのでしょうか。
ライター野添ちかこがオトナサローネ読者にインタビューを行い、リアルな女性の人生をお届けする本シリーズ。今回は、乳がんに罹患したユミコさんが、自身の健康と家族の絆を取り戻すまでのお話をご紹介します。
◾️ユミコさん
大阪府在住の54歳、専業主婦。53歳の夫、中1の娘と3人暮らし。乳がんになったのをきっかけにバンドの推し活を始める
【私を変える小さなトライ】
53歳の健康診断で、胸に3cmのシコリが見つかって
53歳になった頃、健康診断で「乳がん」が見つかったユミコさん。全く自覚症状はなかったものの、「腫瘍があります」と告げられ、恐る恐る胸を触ってみると、確かに3cmほどのゴリゴリしたシコリがありました。
家族や親戚、友人に乳がん経験者はおらず、相談できる人もいませんでした。インターネットの情報を頼りに、かかりつけの婦人科と近所の乳腺外科を受診。「おそらく乳がんでしょう」という診断を受け、総合病院の乳腺外科で組織を採取して詳しく調べる「生検」を受けました。
2週間後、ユミコさんに告げられた病名は「トリプルネガティブ乳がん」。3つの主要なタイプの中でも、再発リスクが高く、ホルモン療法が効きにくいとされるがんです。治療には手術と抗がん剤を用いると説明されました。「まさか自分が乳がんに? しかも、その中でも悪性の稀なタイプだなんて……」と、頭が真っ白になったといいます。
冷え切っていた夫婦関係に、がんが与えた変化
「抗がん剤治療が始まるから、あなたたちの助けが必要になる」。
家族にそう告げると、夫も娘さんも「できる限りサポートするよ」と答えてくれました。それをきっかけに、家庭の空気は大きく変わりました。
実は、それまでユミコさんと夫の関係は冷え切っていて、「子どもが成人したら卒婚しよう」とまで考えていたそうです。
そんな夫が、がんの告知をきっかけに一変。ユミコさんに代わって家事を担当し、小学生の娘さんも自分のことは自分でやるようになったといいます。
「倦怠感で立つこともできない」6カ月間の抗がん剤治療が始まった
診断からわずか2週間後、抗がん剤治療が始まりました。
最初の3カ月間は、週1回の抗がん剤投与に加え、2022年にトリプルネガティブ乳がんにも適応拡大された、免疫チェックポイント阻害薬「キイトルーダ」も併用。治療を始めるとすぐに激しい吐き気に襲われ、さらに便通が1週間以上止まったり、手先のしびれ、赤い発疹など、さまざまな副作用が次々に現れました。
次の3カ月は「EC療法」と呼ばれる、別の2種類の抗がん剤を組み合わせた治療法が実施されました。
「とにかくだるくて、全身に強い倦怠感があって……。一度ソファに座ると、そのまま立つことさえできないんです。抗がん剤投与後の3日間は、ほとんど立つこともご飯を食べることもできず、ただ横になっているだけでした」
毎日の食事は、夫が買い物に行き、1週間分の作り置きを用意してくれていました。吐き気が強いときは何も食べられず、ゼリーやプリンを少し口にする程度。抗がん剤が抜けてくると食欲が戻りますが、また投与が始まると再び食欲がなくなる……そんな辛いサイクルの繰り返しだったといいます。
『ケセラセラ』を歌って、つらい治療の日々を乗り越えた
ある日、娘さんがYouTubeで見ていた動画から流れてきたきれいなメロディーが耳に残りました。「その音楽、いいね! なんていう歌?」と娘さんに聞くと、バンド名はMrs. GREEN APPLE、曲名は『点描の唄』だと教えてくれました。
ユミコさんが罹患した乳がんのMRI検査は20分以上、うつ伏せの状態を保たなければいけません。しかし閉所恐怖症気味のユミコさんにとって、それは大きな試練でした。「脳内でごまかすしかない」と考え、Mrs. GREEN APPLEの『ケセラセラ』を頭の中で4回も繰り返して再生し、何とか検査を乗り切ったそうです。
「不幸の矢が抜けない日でも All right All right 止まらないでいよう♪」
自分が「不幸のど真ん中にいる」と感じる中、眠れない、食べられないつらい日々でも、この歌詞を思い出しては勇気を奮い立たせたといいます。
本編では、53歳で乳がんが見つかり、つらい抗がん剤治療に立ち向かったユミコさんのお話をお届けしました。
▶▶「『ケセラセラ』が私の背中を押してくれた」乳がんを乗り越えた私が見つけた“心と体を取り戻す”新しい挑戦
では、闘病後に挑戦したドラムやヨガ、夫との関係改善など、新しい一歩を踏み出したユミコさんの姿についてお届けします。
写真はイメージです