「もう会社に行きたくない」突然の夫の申し出。私が反対しなかったのは、おたがいの責任と自由を約束する「結婚協定」があったから【体験談】 | NewsCafe

「もう会社に行きたくない」突然の夫の申し出。私が反対しなかったのは、おたがいの責任と自由を約束する「結婚協定」があったから【体験談】

女性 OTONA_SALONE/LIFESTYLE
「もう会社に行きたくない」突然の夫の申し出。私が反対しなかったのは、おたがいの責任と自由を約束する「結婚協定」があったから【体験談】

この「家族のカタチ」は、「私たちの周りにある一番小さな社会=家族」を見つめ直すインタビューシリーズ。いまや多様な価値観で描かれつつある、それぞれの「家族像」を見つめることは、あなたの生き方や幸せのあり方の再発見にもつながることでしょう。

今回から2回にわたって話をうかがうのは、たま子さん(仮名)。2歳の女の子を育てる30代後半のワーキングマザーです。

2年前、育児休業から復帰したばかりのたま子さんに夫が突然口にしたのは、「会社を辞めたい」というひとこと。その時たま子さんは、復帰を促したり、焦ったりすることはなく、すんなり受け入れたといいます。

「夫が退職したところで、私は何も変わりませんから」とにこやかな表情で言い切るたま子さんに、お話をうかがいました。

【家族のカタチ #7(前編)】

「結婚に必要なのは、愛情よりもビジネス視点」。2人が高め合い、よい未来へと進んでいくために。貫いたのは徹底的なすり合わせ

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「結婚はビジネスだと思っています。もちろん、夫に愛情はあるし大切な存在。それでも、愛情以上にビジネスパートナーとしてうまくいく相手かどうか。そこを重視するという考え方は、結婚前から今に至るまで変わりません」と、きっぱり語るたま子さん。

その迷いのなさには、長い時間をかけて完成されたのであろう強い信念がうかがえました。

「そもそも、結婚願望を抱かず大人になったんです。最も大きな理由は家庭環境かな……。両親は夫婦仲が円満ではありませんでした。離婚こそしませんでしたが、私が小学校高学年になる頃から今に至るまで、父は別の場所で暮らしています。幼かった私の前で、母は『この結婚は失敗だった』と口にしていましたね」。

明るさや幸せというイメージから程遠い場所に位置づけられた「結婚」。ところが、たま子さんは30歳を迎える頃、「一人で人生を歩み続けることは、自らの理想から遠ざかる行為かもしれない」と思い始めたといいます。

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「『結婚はさておき、自らの視野を広げながら、良い方向へと変化し続けるためには、本音で対話できる相手が必要なのでは』と考えるようになりました。

もちろん、パートナーの有無にかかわらず、行動や交流の範囲を広げて自分をアップデートし続ける方は数多くいらっしゃいますよね。でも、当時の私の周りには、一人で過ごすうちに自分の価値観に縛られ、頑なになっていく人々が多かったんです。

たとえば、私の母。父との別居期間が長くなるほどしなやかさを失って、母ならではの世界観に凝り固まっていくような印象がありました。独身の男性上司にも似たようなところがありましたね。仕事を抱え込む姿や勤務時間の長さを心配して周りが声をかけても、あまり変化があるようには思えませんでした。年功序列のお堅い職場でしたから、年齢や立場が上がるほど周りからは遠慮され、本音をぶつけてくれる相手は減っていく。だからこそ、これからは、本気でぶつかって自分を諫めてくれたり、気づきを与えてくれるような相手をきちんと探す必要があるのかもしれないと思いました」。

そう考えてパートナー探しを開始したたま子さんは、2年ほどかけて今の夫と巡り合います。

「その間、たくさんの男性とお会いして、お話をしましたよ。そうですね、15人くらいかな……。彼らに気づかせてもらったのは、私は男性の顔を立てるのが苦手な人間だということ(笑)。デートコースは自分で決めたいし、相手色に自分を染めるなんてこともできない。『誰にも縛られず、私がやりたいことをそのままやらせてもらえることが、ものすごく重要なんだ』と、ようやく認識しました。

その点、私をどんどん受け入れてくれたのが夫です。『ここに行きたい』と言えば賛成してくれるし、デートの途中で電車を乗り間違えても、次の一手を穏やかに提案してくれる。それまでの男性は『だから言ったのに!』なんて苛立つことも多かったですから、最初は『ガマンしているのかな?』と思いました。でも、どうやら彼は、はっきりとものを言い、意思を持って行動する――そんな私だったからこそ気に入ってくれたようです」。

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「同じ船に乗るビジネスパートナー」に求めた互いの責任の確認

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こうして心地よい関係を築いていた2人。やがて彼は、結婚の意思を明確に示すようになったのだとか。

「彼の父は、末期がんでした。『父を安心させたい』という思いが募った彼が、結婚という形を求めたんです。私は事実婚を提案したりもしましたが、『一緒にいる覚悟があるのに、だったらなぜあえて事実婚なんだ?』と彼は言う。その意見は一理あるし、そんなに必要としてもらえるのがありがたいとも思い、彼の希望を受け入れることにしたんです」。

とはいえ、2人の関係が夫婦という形に変わった後も、自分が縛られることなく、互いが自由に良い未来へと歩んでいけることを確認したい――そう考えたたま子さん。

「2人が同じ船に乗ったからには良い景色へと進みたいし、沈没なんてもっての外!だから、お互いに家庭にはどれくらいコミットするか。お金はどんな比率で、いくら出し合うか。家事や家計管理などの業務分担をどうするか。『結婚協定』とでも言いましょうか……あらゆることを、丁寧に確認し合いました。

――それもこれも、幼い頃に耳にしていた母の言葉が心の根っこにあったのかもしれません。『私の結婚は失敗させないぞ』って」。

「もう、会社に行きたくない」。夫からの突然の申し出に、示したのは「心配」ではなく「信頼」

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互いのビジョンと役割をすり合わせ、一つの船を漕ぎだしてから2年後、2人の間に女の子が誕生します。産休と育休を経たたま子さんは、ワーキングマザーとして再始動しました。

「4月に復帰したものの、保育園に通い始めた我が子は発熱の連続で、あっという間に私の有休がなくなるほど。復職あるあるとはいえ、やっぱり大変でしたね……」

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それからわずか1ヵ月、ゴールデンウィークが明けた直後のことでした。夫からたま子さんに、「会社に行きたくない」という相談があったのです。職場での人間関係がこじれていたのだといいます。

「保育園への送迎は、園と職場が近かった私の役割でした。私の仕事の都合がつかなかった1~2回だけは夫に代理をお願いしたことが合ったのですが……その時の、夫の職場でのコミュニケーションが、どうやら同僚の気に障ったようなんです」。

そもそも集団の中で要領よく振る舞うのが得意なタイプではないという夫。たま子さんが改めて事情を聞くと、実は以前からくすぶっていた小さなしこりに、「子どものお迎え」という出来事が火をつけてしまったようです。

「『人間関係を円滑にするためのそういう種蒔きは、ちゃんとやっておこうよ……』って思いましたよ。だって、子どものことで職場に迷惑をかけるのは間違いない。だから、私は事前にあれもこれもシミュレーションして、職場と何度も会話して、理解を得られるように努力をしていたわけです。育休中も職場にちょこちょこ顔を出して、菓子折りを持って行ったりね。

とはいえ、もはや後の祭り。夫には『大変なのはわかるから、必要なら私があなたの職場に説明したり、頭を下げることもできるよ』と伝えてはみましたが、既に溝は深いようでした」。

求めるのはビジネスパートナーとしての責任。あとは、思うように生きてほしい

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以来、夫のコンディションや人間関係は悪くなる一方だったのだとか。妻という立場なら、励ましたり、焦ったりして当然……と思いきや、「『復帰させよう』という発想も焦りも、微塵も抱きませんでした」と即答するたま子さん。どうしてそんな風に落ち着いて構えていられたのでしょう?

「そもそも、私も夫も『個』という存在であり、彼の人生は彼のもの、というのが大前提です。夫婦として求めるのは、当初取り決めた『結婚』というビジネスの責任を果たしてもらうこと。このときも、夫は退職を検討し始めてからスタートした副業と、もともとの蓄えを併せて、経済的責任を果たせるという見通しを立ててくれました。

役割分担を引き受け、彼が払うべき金額を毎月納めて、家庭へコミットしてもらう。それさえクリアすれば、どんな職業を彼が選択しようと、全く問題ないんです」。

にこやかに、サッパリとたま子さんは当時を振り返ります。とはいえ、いざという場面でここまで腹を括りきることは、なかなかできないのでは――そんなこちらの思いが伝わったのか、続いてたま子さんが差し出したのは、「信頼」という言葉でした。

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「『今日はこんな風に過ごしたい』という小さな希望から、『こんな仕事をやってみたい』という大きな挑戦まで。夫は常に私を信頼して、背中を押してくれました。なぜそれがこんなにうれしいのかと考えたら、幼い頃から、私はまさにその『信頼されること』を求めていたんですよね。

小さなころ、私が何かをやりたがると、母はいつも『いつ辞めてもいいんだよ』『大丈夫?』と言ってくれたけれど……私は、『いいね』『応援してるよ』と声をかけてほしかった。ずっとそう思っていました。

夫が私に打ち明けた『会社を辞めたい』の先に待つのは、新しい人生。その一歩を前にした彼を見て、いつも彼が私にしてくれるように、『心配』ではなく『信頼』を寄せたかったんです」。

かつて夫婦で交わした「結婚協定」。それは夫婦の責任を確認し合うことであると同時に、実は互いの人生の「自由の輪郭」を描くことでもありました。突然やってきた壁の前で、この協定を強く、あたたかく機能させることができたのは、「互いの信頼」という土台があってこそ――そんな「家族のカタチ」を、たま子さんは教えてくれました。

次回記事「「家族」を言い訳にしない、守りに入らない。わが子に誇れる「生き方」のために、私が挑戦したコト【体験談】」では、この半年後に起こったたま子さんの休職に、家族がどう向き合ったかをご紹介します。

後編記事▶▶こちらから読む


《OTONA SALONE》

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