先日放送されたバラエティー「しくじり先生 俺みたいになるな!! 2時間スペシャル」(テレビ朝日系)でタレントの吉村明宏(58)が、売れていた頃いい気になり、仕事を失った過去を告白したことが話題になっている。
「吉村は1980年代の後半から『アッコにおまかせ!』(TBS系)の中継コーナーで人気者となり、全盛期には11本のレギュラー番組を抱えていました」(芸能ライター)
ああ…確かに昔はよく顔を見たよね。
「当時は歌手、和田アキ子(65)のモノマネを番組中でやって、受けに受けまくっていましたよ。吉村が中継するときは和田のヒット曲、『古い日記』の出だし、『あの頃は~』と歌うと、現場の参加者は『はっ』とかけ声を返すのがお約束でした。当時吉村は、和田のモノマネがうまいことで和田本人から気に入られ、番組に起用されたんです」
どうして嫌われるようになった?
「和田に守られ、怖いものなしになった吉村は、スタッフにどんどん上から目線になっていったんです。最初、現場入りするときはアシスタントディレクターにも挨拶していたんですが、やがて無視するようになり、スタッフに不手際があると怒鳴りまくり、その反面、和田の前では手のひらを返したようにおとなしくなる。要するに、表と裏の顔を使い分けるようになっていたんです」
で、それからどうなった?
「和田が『吉村、おまえ周りのスタッフから嫌われてるぞ。少し改めないとな』と彼女としてはやんわりと忠告しました。ところが返ってきた言葉は、『アッコさん、僕の勢いに嫉妬しているんでしょう?』だったんです」
それに対して和田は? 往復ビンタしたとか(笑)。
「当時の和田は吉村を誰よりもかわいがっていたので、この反論に関しては何も言わずに笑って終わりだったようです。和田は嫌いなタレントは徹底的に攻撃しますが、目をかけている男性には甘いので有名でしたから」
和田も注意できない吉村の末路は?
「95年に13年間レギュラーを務めた『アッコにおまかせ!』を降板したんです。気難しい和田と組まなくても、売れっ子の地位は揺るぎないと過信しての離脱でした。ところが、翌年からどんどん仕事が減り、誰からも相手にされない存在になっていました。生意気な発言ばかりを繰り返し、視聴者からも嫌われたのが致命傷でしたね」(先のライター)
今更過去を告白したところで、過ぎ去った時間は戻らない。芸能界、テングになったらおしまいという好例といえそうだ。
《NewsCafe》
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