「炭鉱労働者」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。「きつい・汚い・危険」の所謂、3Kを想像するだろう。また、日本人にとっては、2011年に世界記憶遺産に登録された、画家・山本作兵衛が描く「刺青から紐解く炭鉱夫の恐怖」が印象深いのかもしれない。日本では、2002年に北海道釧路市の「太平洋炭鉱」を最後に商業採炭の長い歴史に幕を閉じた。近年において「石炭」は石油や天然ガスにとって代わられ、「今や主役ではない」というイメージが通り相場のようだ。しかし、世界中の電気の41%を担っている石炭火力は、まさに"なくてはならない存在"であり、今でも日本の電気の27%は石炭火力で発電されている。
■カメラマン「Robb Kendrick」
ロブ・ケンドリック氏は、世界850万人が読むビジュアル月刊誌「ナショナル・ジオグラフィック」にこれまで17度の特集を持った経験のある世界的に著名な写真家だ。ケンドリック氏は、22年間インドでのジャーナル活動通じ、この度、「インドの石炭鉱山での生活」を発表した。そこには、違法採掘を続ける坑夫たちの悲惨な労働実態が写されていた。
■それはまるで「ネズミの坑」
彼らの作業場は地底400フィート(約120メートル)の湿ったく、闇に閉ざされた坑。まともに水も光もなく、湿気を逃がす通気口もない。さらには、掘り進めた縦穴の壁面にはなんの補強もなく、不安定な木製の階段が直に備え付けられているだけであり、万が一の落盤に備える逃げ道もない。
「もし、この坑でほんの些細な事故が生じれば、ドミノ崩しのように、それはそれは簡単に落ちてゆくだろう。」と語るのはケンドリック氏。
地底を掘り進めれば進めるほど、そのリスクは加減をしらぬかの如く高まってゆく。なぜなのか。天然ガスが道を探すように地底から這い上がろうとするからだ。ちょっとしたきっかけで爆発がおきる。ここの坑夫たちは知ってか知らぬか、平気で煙草に火を付け、珈琲ブレイクを嗜んでいるではないか。それも、ヘルメットもせず、足下をみればビーチサンダルという始末。抗夫たちにとって、この場所が危険であることは百も承知。誰しも一度は死亡事故を目の当たりにしているからだ。それほど、事故は日常であり、考えれば考えるほど、身を防護することの"無意味"さを理解している様子。何かの拍子に壁が崩れ落ちたら一溜まりもなく坑夫らの命を奪うようなネズミの坑。
この違法採掘を続ける抗夫らは、不満を抱えているに違いないと考えるケンドリック氏。しかし、現実は、きつく当たる素振りもなければ、誰も不平不満を漏らすことなく当たり前のように働いていたそうだ。22年間インドで働いてきたケンドリック氏にとって、インドにおける「貧しさ」は嫌と言うほど目の当たりにしていた。しかし、この鉱山における労働環境は驚くべきものだったと語っている。
■3世代に渡る炭鉱労働
ケンドリック氏は、石炭の積み出し場で小さなハンマーを振っていた60代の坑夫と出会った。坑夫の妻は、石炭を懸命にシャベルで掬っていた。30分間ほど彼は年老いた坑夫の様子を伺っていた。結果、坑夫を中心に取り巻く、若い男女と小さな男の子は、この60代の坑夫の家族であることが分かった。話を聞くと、1日11時間ほど働き、一人あたり2ドル(米)受け取る。かけること5人で1日10ドルの計算だ。インドにおける平均月収は1219ドル(約12万円)と考えると、雀の涙にもならない低賃金。命の危険を伴う労働に、小さな孫まで動員せざるを得ない状況に、ケンドリック氏は、この60代の坑夫の心境に深く同情していた。
皮肉なことに、炭鉱労働者らは、電気のない暮らしを送っている。世界中で開発を急ぐあまり、非常に危険な違法採掘が横行し、過酷な労働がまかり通っている状況に、あなたはどのように考えますか?決して、電気エネルギーを心おきなく享受している私たちに責任があると思い込む必要はないと筆者は考える。「こんなに大変な人もいるんだから君は幸せだ」なんてのは、押しつけ以外の何者でもない。ただ、我々の生活を取り巻く物資やエネルギーは、どのようにして享受できているのかなど、相手の心情をよく察した上で責任を持った行動を心掛けたいものだ。
【参照元】
1・NATIONAL GEOGRAPHIC=Life in India's Coal Mines
(Photographer:Robb Kendrick)
2・Wikipedia= Income in India
【執筆者:王林】
《NewsCafeコラム》
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