「今日も楽しかったよー。いつも長い時間付き合ってくれてありがとう」
「そんな、こちらも楽しかったです。また来てくださいね。次の予約はどうされますか?」
その時代によって流行する接客業のスタイルは様々だ。ストレスの多い現代社会を反映してか、物静かそうな女性が浴衣姿で仕事に疲れた男性を癒してくれる「サロン」が繁盛している。
41歳、世間では中年と言われる年齢で独身、電力関係会社で20年以上勤続する林貢二の楽しみは週末の「耳かき」だった。
若い女性が優しく接してくれ、膝枕で耳かきするサービスが売りのこの種の「耳かき店」が林の癒しの場だ。通うにつれ、気に入った耳かき嬢ができた。「まりなちゃん」だ。
どんどんはまっていき、とうとう一日に6時間以上店にいる時があった。料金は一時間五千円近く、安くはない。しかし林は「もしかしたら客以上の存在になれるかもしれない」という一方的な期待に大金をつぎ込むようになった。
この歳になれば女性が接客する商売のポイントは「擬似恋愛」を一時的に体験させることだということはわかるだろうが、林はその基本軸から一人外れてしまったのだ。
そして訪れた「まりなちゃん」との突然の別れ。ある日、店側から来店を拒否されたのだ。
林は恋愛感情を抱くあまり、「店の外で会ってほしい」と言ってしまった。これは客として接しないでくれ、というシグナルでもあり、間接的な告白でもあった。
が、返ってきた答えは「拒絶」。店側としてもこうした種類の店の基本である「店の中だけのファンタジー」から外れる客は断るしかない。
この後、林の恋愛感情は恨みへと発展する。2009年8月、林はナイフを手に、まりなちゃんこと、江尻美保さん(当時21歳)が家族と住む都内の家に乗り込んだ。
最初に対応した江尻さんの祖母をメッタ刺しにして殺害後、二階の部屋で寝ていた美保さんの首を刺して重傷を負わせた。江尻さんは病院へ搬送後、治療もむなしく亡くなった。
世間ではこの事件で「耳かき店」の存在が大きくクローズアップされた。本来ならば凶悪なストーカー殺人ということで社会全体がどう対処していくかが議論されるべきところだったが、江尻さんの収入額が知れ渡るやいなや、人々の視点の一部は耳かき店・耳かき嬢というビジネスに集まった。
「本当に耳かきだけのサービスなの?」「男を接客する仕事なんて・・・」
「男の感情を利用してリピート来店させるのか」
などと半ば中傷に近い話が出てきたのだ。
「異性への接客業は危険な目に遭っても仕方がない」という人々の偏見はストーカー行為と犯罪を是認するきかのような論調を助長する可能性がある。
この事件の場合もそうした論調が一部でいまだ盛んなのである。
今も昔も事件が発生した際、被害女性の職業や行為を理由に、被害者女性を批判・中傷して精神的に苦しめる現象が後を絶たない。
場合によっては頼みの綱である警察でもこうしたことを理由に事件として扱わないこともあり、本来ならば社会的に重大な問題となるべきところが、
「そんなことをする女も悪い」となってしまうのだ。
ちなみにこの事件の裁判では
「極刑に値するほど悪質なものとは言えない」「恋愛に近い好意の感情を抱いていたからこそ、来店を拒絶されたことに困惑し、抑うつ状態になった」「この絶望感が怒りや憎しみに変化してしまい、殺害を決意するに至った」
と判断され、死刑ではなく無期懲役が言い渡されて確定した。この判決は、相手に拒絶された事実を受け入れず、激しい憎悪を持つことを認めるようなものだとして批判されている。
一方的に感情を爆発させ、殺人にまで発展するストーカー諸問題に、あなたは何を思うだろうか?
NewsCafeでは犯罪分析コラム「NewsCafeユーザーによる事件アナリシス」の連載をスタートしました。皆様のご意見をもとにした内容となりますので、コメントポストにてコメントを募集します。
皆様からのご意見、お待ちしております。
※新橋ストーカー殺人事件とは
2009年8月に発生した耳かき専門店勤務女性とその祖母が殺害されたストーカー殺人事件。
犯人の林貢二は女性が勤務する耳かき店の常連客だったが、個人的な付き合いを言い出したことで店側から入店を拒否される。このことで逆上した林は従業員女性に憎悪の念を抱くようになり、殺害した。
裁判員制度導入後初の死刑が求刑されたが、結局無期懲役で刑が確定した。
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