「誰かお願いです。私の話を聞いてください。誰かお願いです。私たちの話を聞いてください。子どもの訴えを無視しないでください。ねえ、ねえ、私の目を見て答えてよ」
これは福島県相馬市にある相馬高校放送局が作った「演劇」の最後の台詞です。津波の被災で家族や自宅を失ったり、友達を亡くしている高校生が舞台に立ち、震災も原発事故もまだ終わっていないことを訴えていました。この演劇に関するイベントが先日開かれ、私も参加してきました。
相馬高校は相馬市の中心部にあり、東京電力・福島第一原発から約43キロの地点にあります。震災後、私が相馬市に入ったのは2011年3月27日でした。中心部の市総合福祉センター「はまなす館」には津波に家屋が流された人たちが避難してました。この時期、南に隣接する南相馬市はほとんど人がいなくなっていましたが、相馬市でも原発事故に不安を持った人たちが市から避難していました。
ここで話を聞いた小学生のうち、こんな本音を漏らしていた1人がいました。
「いやー、もう大変っすよ。地震に、津波に、原発の三重苦っすよ。こんなことは生まれて初めてです。警報が鳴っても、嘘だと思って逃げない人もいました。小学生も行方不明がいたり、亡くなった人もいました」
小学生までもが、こんな「三重苦」を背負っていたのです。こうした不安は子どもたちの中にも広がっていました。原発事故での被ばくによって「将来、結婚できないかもしれない」「子どもが出来たとき、その子に障害があったら、私たちのせいにされる」といった不安を持っていた女子高生の思いも、相馬高校放送局の「演劇」作品の台詞にも現れています。
一言でも相馬市といっても、津波被害のあった沿岸部と、そうではない内陸部とでは視覚的にも差があります。しかし、原発事故によって、どこまで被ばくするのか、といった不安は共通して持っている地域です。津波によって家族や友人ら「大切な人を亡くした人」たちはさらに心の傷を抱えています。
また、相馬高校には、福島第一原発から20キロ圏内の警戒区域に指定されていた南相馬市小高区出身の生徒もいます。そんな生徒に昨年、東北六大祭りのひとつ・相馬野馬追の会場で偶然会うことができ、話を聞きました。その生徒が放送局だったこともあり、いつか取材をしようと思っていたところ、イベントに参加することができたのです。
震災体験は絶対的に風化していきます。その一方で、年月が経ったからこそ、言えたり、綴ったりできる体験や気持ちもあります。もちろん、そうした体験や気持ちをすべての人に理解してもらえるチャンスはないかもしれません。しかし、私はまだ被災地の取材を続けることになるでしょう。また、今後も様々な人が体験を語るイベント等が開かれることでしょう。一つでも多くの声を聞いて行きたいと思います。
[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
《NewsCafeコラム》
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