東日本大震災から9ヶ月が立ちました。12月11日には宮城県石巻市の待機所(避難所が閉鎖しても、行き場所がなかった人たちが避難生活を送る場所)が閉鎖となりました。いまだに仮設住宅にも入れないのは驚きです。
また、気仙沼市でも4世帯5人がまだ市民会館で避難生活を送っています。ただ、すでに行き先は決まっているために、市では今月中には避難所を閉鎖する予定といいます。
各被災地では、日常を取り戻すための取り組みのほか、被災当時の検証をする取り組みを行なっています。そして、今後の地域づくりに被災体験を活かそうとしています。
12月9日、釜石市では「東日本大震災検証委員会」の初会合が開かれました。釜石市では886人が死亡、29人が行方不明になっています(12月8日現在)。最も多く犠牲者が出たのは鵜住居地区でした。震災後、私が最初に釜石市で訪れたのも鵜住居。最初に話を聞いた小笠原勝見さん(76)も、妻を探していました。小笠原さん自身も津波に流されたものの、木につかまって助かったのです。
鵜住居地区では、鵜住居小学校と釜石東中学校が地震直後から走って逃げて、欠席した生徒1人を除いて、児童生徒は助かりました。ここ数年、釜石東中では津波教育をしていたために、その成果が出たとされ、「釜石の奇跡」と呼ばれます。12月11日に「かまいしの『第9』」に参加した釜石東中。野田武則市長の挨拶でも避難ができたことを絶賛されました。ただ、生徒たちは「当たり前のことをしただけ」といたって冷静な反応です。
同検証委は年度内に3回開かれ、今後の復興計画に活かす予定です。この中で最も懸案となっているのが、「鵜住居地区防災センター」での悲劇です。市側の資料によると、当時、同センターに避難したのは100人前後。防災センター内での発見遺体は63人。ほかに隣接する鵜住居幼稚園付近では5人が発見されました。生存者は26人。同センターでは「津波避難」をするための避難場所ではありません。しかし当時、同センターに避難誘導をしていた、との証言があります。また、津波がくるとなったときに、同センターの避難室に通じるドアの鍵を閉めていた人物がいたとの話も。
仲町内会の避難場所は「常楽寺ほか西側高台」になっています。しかし、地域の防災訓練でも、津波訓練でも、今年の「津波の日」の訓練でも、同センターを避難場所に設定していました。もちろん、市の広報でも同センターは津波避難場所としては外れています。しかし参加率を上げるために、近くの同センターで行なってきたという経緯があったといいます。
津波避難場所ではないのに、「防災センター」という名前になったのも分けがある。「検証委員会」に参加した一人は、「同センターは本来、公民館としての機能が強い。しかし、建設時、公民館としては予算が作れなかった。防災予算では作りやすかったので、名前も『防災センター』となった」と話していました。つまり、事実上の公民館を津波の避難場所として訓練を重ねたのです。
仲町内会長も亡くなったが、その一人息子・高橋淳さん(43)は、現在、鵜住居第2仮設住宅団地自治会の会長を務めています。自治会の結成は自ら声をかけ、率先して会長となりました。同センターには父親だけでなく、母親、祖母が避難し、3人ともが亡くなりました。高橋さん自身は当時トラック運転手で、宮城県名取市の仙台空港にいました。被災はしたが、鵜住居地区の状況はわかりません。
「親父は町内会長で、同センターを使った避難訓練をしていた。避難場所でないのに、どうしてあそこに避難したのかはわからない。今更何を言っても仕方がない。もちろん、忘れてはならないことだし、どうしてあそこに逃げたのか?を知りたい人もいる。どこにこ怒りをぶつけようがない。検証もいいが、今後の仮設住宅での生活のあり方や地域づくりに目を向ける必要がある。先のことを見ないといけない」
現段階では、高橋さんは仮設住宅での生活のあり方を重点に考えています。それは、仮設住宅に入りたくても入れない人がたくさんいるため。冒頭に石巻市や気仙沼市のことを例示したが、希望者が入れないのは、この2つの市だけではなく、釜石市も同じだ。こうしたことは各地で聞かれます。女川町でも、相当数の世帯が仮設住宅に入れません。
主婦の高橋一枝さんもその一人。震災当時、女川町で子どもと2人で住んでいましたが、その住宅が津波で流されたのです。
「町に聞くと、もう仮設住宅は作らないといいます。かといって、(隣接の)石巻市の仮設住宅にも入れないといいます。仮設住宅に当たったとしても、鍵をとりに来ない人もいるんです。いろんな事情があるとは思いますが、どうして?って思ってしまいます」
現在は、元夫の実家である石巻市内に住んでいます。
「もし、トラブルがあって住めなくなった場合はどうするのですか?と町に聞きました。町の職員は何も答えませんでした。それどころか、前の夫と住むことになるために、事実婚とみなされ、母子手当ても切られました」
こうした不安を抱えている人は、他にもいるといいます。民間の賃貸住宅に入居し、「みなし仮設住宅」となる場合もありますが、女川や石巻では、「みなし仮設住宅」となる賃貸住宅は空きがないといいます。もうすぐクリスマス、そして年越しです。周囲は徐々に日常を取り戻しつつあるなか、高橋さんは不安な年越しをせざるを得ないのです。復興、復旧とはいいますが、まだ、仮設住宅にも入れない人の声を行政、政治家はどのように反映させるつもりなのでしょうか。
[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]
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